(青桐みすず)「あは、あはは……」 そう、ソレは、甘い、甘い夢。 夢を見るのは、なにも人間だけとは限らない。たとえこの島に誰も居なくなったとしても、それでも夢を見続けるこの島では、みんな生きてるの。ワタシの大切なヒトは、みんな。夢が、冷めない限りは。 ――あははははっ! この楽園には誰が必要かな、何が必要なのかな? まず男なんていらないわ、……あぁ、そういえばとっくに死んでたわね。じゃあ他には? 他に必要のないものは何かしら? そうだ、ワタシ達のことを理解してくれない、狭窄的な考え方しか出来ない愚かな大人たちも……あら、コレもとっくにソコで死んでるじゃない。もしかしたら、もうこの島に必要のないものは全て排除してしまっているのかも。それじゃ、……必要なものは、何? 何が必要? 誰が必要? ……そんなの決まってる、何より大事なことは約束。この孤島を決して目覚めさせない、夢を夢のまま永遠に眠らせておくのだという誓い。そうよ、そうだわ、誰もあの世界に伝えなければ、あさみだって生きてるのと同じ。橙花さんと仲睦まじく愛し合ってる二人は、永遠になるの。 (青桐みすず)「約束が……誓いが必要……ねぇ、あさみ……」 ――あさみは、もし夢が叶うなら、どんなことがいい? (紫苑あさみ)「夢? えっと、……もし、願い、が、叶うなら、……私は、橙花様を守りたい」 アレは、いつの日のことだったろう。あさみは確かに、そう言っていた。 (青桐みすず)「守りたい、の? へぇ……なんだか意外。どっちかっていうと、彼女の方があさみを守ってくれそうだよね」 (紫苑あさみ)「それじゃダメなの!!!」 後にも先にも、あんなにもあさみが激昂したのを見たことはなかった。 (紫苑あさみ)「……っ、ご、ごめん、なさい」 (青桐みすず)「え? あ、あぁ、うん、ワタシもゴメン。テキトーなこと、言っちゃったね……」 血筋的にただでさえ敵が多く、そのうえ同性愛者でもある彼女には、どうやらワタシが想像していた以上に風当たりがきついらしかった。ワタシたちの前では常に凛としていたけれど、どうやらあさみと二人きりの時には甘えるような仕草を見せることもあったらしい。 (紫苑あさみ)「もちろん、橙花様、だから、分かり、やすく、弱音、を、吐くこと、なんて、ない、……けどね。でも、……分かる、の。ココロが、泣いてる、って」 (青桐みすず)「そっか……そうよね、あんな家系なら普通は見合いだって引く手あまたよね……」 (紫苑あさみ)「うん……その度、に、橙花、様、は、目に見えて、やつれて、しまっていて……だから、私、が、守って、あげたい、の」 (青桐みすず)「守ってあげたい、か……さしずめ、女王様をお守りする騎士ってトコロだね……う~ん、応援してあげたいケド、叶えるのは大変なのかも……」 (紫苑あさみ)「うん、そう、だよ、ね。私、は、自分の、身体、が、こんなにも、ちっぽけで、悔しい、の。せめて、橙花様、の、盾に、なれるくらいに、大きければ……」 ――そうだ、あさみはソレがコンプレックスだったっけ。じゃあ、せっかくだからその夢も叶えてあげなくちゃ。あさみを騎士に、……してあげなくちゃ。 .(シーン32:逃避行) (赤花美琴)「みすず……まさか、それで紫苑さんの身体をっ!?」 (青桐みすず)「そうよ、」 恍惚とした表情を浮かべ、舌先でくちびるを舐めずる青桐みすずは実に堂々としたものだった。 (青桐みすず)「ワタシが、あさみの願いをかなえてあげたの。あさみは騎士となって、女王様を守るためにその身を挺して、そして最後に女王は騎士の胸に飛び込んで、泣き崩れて終わるのよ。……あさみはね、そういう映画が好きだったの! だから、ワタシがそうしてあげたのよっ! ……あは、あはは、あはははは!!!」 (橙花まゆ)「……」 (赤花美琴)「どう、して……」 啜り泣くようなその声は、冷ややかな廊下の壁に呑まれて消える。 (青桐みすず)「……何? どうしたの、美琴」 (赤花美琴)「どう、して……どうしてなのよ! どうして、何でみすずがあんな事っ! 酷いよ、酷過ぎるよ、あんな事したって、誰も、誰も、……幸せになんて、なれないじゃない! うわぁ、あぁあああ……」 赤花美琴は、最後には絶叫しながら身を屈め、そして哀哭した。 誰のせいで、何故こうなったのか、彼女には何も分からなかった。ただ漠然と、ほんの一瞬だけ、いっそのこと死んでしまいたい、このまま生き残ったとしても、自分は何もかも失ってしまうだろう、という予感が脳裏をかすめていた。 コツ、コツ、コツ。 そんな彼女の前方から、響く足音。それは早くも、遅くもなく、動揺もせず、焦燥感も存在しない、機械的に靴底が床を叩く音だった。 (赤花美琴)「うわ……ぁ……」 赤花美琴は半ば本能的に、視界を滲ませる涙を袖で乱暴に拭き取り、貌を上げる。彼女の眼前に立ちはだかる橙花まゆの手には、一本のナイフ。そして橙花まゆは無表情のまま、そのナイフを赤花美琴に向けて振り下ろしてきた。 (赤花美琴)「ぁ、うわ、は……」 もはや彼女には、覚悟する時間すらも与えられてはいなかった。 (青桐みすず)「みことっー!!!」 目の前には橙花さんが居て、その手にはナイフが握られていて、それが段々と大きくなって、後ろからはみすずの声が聞こえてきて、 突然、赤花美琴の視界から橙花まゆの姿が消えた。と同時に、鈍く大きな音が通路の壁を乱反射し、彼女の鼓膜を多方向から刺激する。 (青桐みすず)「大丈夫、美琴っ!?」 すると、後ろに居たはずの青桐みすずが赤花美琴の前方、部屋へと通じるドアの前から姿を現した。何が起きたのか理解出来ず呆けている彼女を尻目に、青桐みすずはその手を取ると強引に外へ向けて走り出す。 (赤花美琴)「ね、ねぇみすず、いったい何がっ……!」 (青桐みすず)「美琴、アナタ今、橙花さんに殺されそうだったのよ!」 (赤花美琴)「え、えぇ!? そんな、なんで私が……」 そんなことをされる心当たりがまったくない赤花美琴はその事実をにわかには受け入れ難かった。しかし彼女が後ろを振り向くと、そこにはゆらり、ゆらりと立ち上がり、見開いた眼で二人を凝視しながら無感情のままに駆け出す橙花まゆの姿。もはや疑う余地はない。このまま追いつかれれば、きっと二人は理由もなく惨殺されてしまうのだろう。 (青桐みすず)「分かった!? 向こうは話なんて通じる相手じゃないのよ、とにかく逃げて、逃げてっ……!」 (赤花美琴)「うん、うんっ……! ありがとう、美琴!」 (青桐みすず)「お礼なんていいから、早くっ!!!」 決死の逃避行。悲劇から、惨劇から、そして現実から。逃げて、逃げて、逃げて―― 二人は再び、燃え盛る館へと到着するのだった。 (青桐みすず)「はぁ、はぁ、はぁ……」 (赤花美琴)「ど、どうしよう、どこに隠れたらいいの!?」 (青桐みすず)「落ち着いて、美琴。橙花さんの服装は走るのに向いてないわ、少しは時間が稼げたハズ……今のうちに、建物の中に隠れるのよっ……」 (赤花美琴)「この中に!? ダメだよ、燃えてるんだよ!?」 赤花美琴の至極真っ当な疑問に対し、青桐みすずは疲労で顔を歪めながらも柔らかな笑顔を浮かべ答える。 (青桐みすず)「大丈夫よ、美琴。ワタシ、知ってるの……この建物の一階に、とっても頑丈な部屋があるの……場所はエントランスホールだから、火の回り方しだいではまだ逃げ込めるハズっ……」 その言葉を受け、赤花美琴が正面玄関から中を臨むと確かにエントランスホール内であればまだ辛うじて移動出来そうではあった。 (赤花美琴)「確かに行けるかもだけど……でも、危ないよっ!」 (青桐みすず)「お願い、……美琴」 青桐みすずは懸命にそう声を漏らすと、赤花美琴の両手を左右から覆うように握り締め、眼を細めた。 (青桐みすず)「ワタシを、信じてっ……ワタシは、アナタを橙花さんになんて殺されてほしくないの! だって、だってワタシ、美琴のことが、」 青桐みすずは赤花美琴の両手を包み込んだまま二人の手を自身へと引き寄せて胸へ当て、一度だけ深呼吸をすると言葉を続けた。 (青桐みすず)「……大好きだから。美琴、アナタのことが。ずっと、ずっと好きだったの。どういう【好き】なのかは……今更、言うまでもないよね? ……うん、ずっと、……好きだった。幼馴染のままで居ることが、辛くなるくらいに……」 (赤花美琴)「みすず……」 ――手の先から伝わるみすずの鼓動が、きっといつもより少しだけ早くて、でもとっても落ち着いてる。 なんだか、心地いい。 ホントのこと、なんだ。みすずが今、伝えてくれたことは、ぜんぶ。 (赤花美琴)「みすず……私も、みすずのことが大好きだよ!!! だから行こう! ホールも、きっとまだ大丈夫だよ!」 (青桐みすず)「みすず……ありがとう……」 青桐みすずはあふれる涙を拭い、そして二人は館へと投入するのだった。 .(シーン33:世界の果ての密室で) (青桐みすず)「こっちだよ、美琴っ……」 エントランスホール、二階へと繋がる階段の、真裏。青桐みすずはその場所を目指していた。 (赤花美琴)「こんなところに……ドア?」 (青桐みすず)「うん、ワタシもあさみに教えてもらうまで全然気がつかなかったんだケド……一度だけ入ったことがあるの。壁は石造りだったから、きっと火にも強いハズ!」 (赤花美琴)「でも、空気は大丈夫なの? 酸素が足りなくなっちゃうんじゃ……」 (青桐みすず)「通気口はちゃんとあるわ! 直に外へと繋がってるって言ってたから、ドアは閉め切っても大丈夫なハズ!」 (赤花美琴)「そっか、じゃあいこう、みすず!」 (青桐みすず)「うん!」 二人は、闇に呑まれた通路を、手を取り合って駆け抜ける。そうしてたどり着いた秘密の部屋の電灯が、――青桐みすずの手によってつけられた。 (赤花美琴)「っ! ……みすず、ここ、って……?」 ぼんやりと仄かに灯る照明で浮かび上がる壁の一面には、大小様々な拷問器具やロープ、そして三角木馬の数々。まるで展覧会のように恭しく飾られた拷問器具の形状はさまざまで、突き刺す、抉る、切り裂く、くびる、挟み込む、押し潰す、粉々にするものが揃っている。 (赤花美琴)「みすず、みすずっ!? ねぇ!?」 非日常の外側は、また別の非日常。終わることのない倒錯世界。 (赤花美琴)「ここってホントに大丈夫な、のっ……!」 残酷な道具たちを前に、それでも決して壁から目を背けることの出来なかった赤花美琴は、突然後ろから青桐みすずに抱き締められた。 (青桐みすず)「……ねぇ、美琴」 その声は低く、それでいて澄んでいた。先程までの、上擦った初々しい調子は何処にも存在していなかった。 (青桐みすず)「ワタシは、ホントの気持ちを伝えたよ? だから、……美琴の気持ちを、ホントの気持ちを教えてほしいの」 (赤花美琴)「ホントの、って……どういう意味……? みすずの告白なら、さっきちゃんと……」 (青桐みすず)「違うっ!!!」 (赤花美琴)「ひっ……!」 密室は、静寂。ゆらめく炎の息吹きも、ここまでは届かない。 互いの鼓動が、空間を隔てた音としてではなく直接的な振動として、相手に伝わる。そして赤花美琴は、自分と青桐みすずの鼓動の違いに愕然としていた。まずあまりにも、速さが違う。彼女は、青桐みすずは落ち着いていた。そこには何の不安もなく、何の迷いもなく、何の焦りもない。対して赤花美琴は、全てが真逆だった。 (青桐みすず)「大きな声を出して、ごめんなさい。でも、……違うのよ。美琴、アナタの【好き】は、まだきっと、違うの」 (赤花美琴)「違う、ってどういうこと? 何が、どう違うのっ!?」 (青桐みすず)「アナタの【好き】はね、戻れる【好き】なの。たとえ引き裂かれても、離れ離れになっても、いつかその傷は癒えて、きっと次は男の人と一緒になるわ」 (赤花美琴)「な、なにを言ってるの、みすず……分かんない、分かんないよっ!!!」 (青桐みすず)「ワタシの【好き】はね、戻れない。だってずっとずっと、アナタだけを見てきたんだから」 (赤花美琴)「みす、ず……? な、何を言って、」 (青桐みすず)「ずっと! ずっと、ずーっとよ! ……覚えてる? 内気で友達が出来なかったワタシに、アナタが声を掛けてくれたこと。アナタの、そんな他人を思いやれる寛容さが好き。……覚えてる? 小学生の頃、休み時間に怪我をしたワタシを慰めているうちにアナタも一緒に泣き出してしまったことを。アナタの、そんな他人の痛みを分かち合える優しさが好き。……覚えてる? 中学二年生の秋、ワタシの恋愛相談に乗ってくれて【みすずなら絶対に大丈夫だよね!】って応援してくれたこと。アナタの、そんな他人事で気楽に応援する無責任さが好き。……覚えてる? 中学三年生の夏、好きな同級生に彼女が居るのか確かめるのを手伝ってほしいってワタシに相談したこと。アナタの、そんな他人の気持ちをゆさぶる無邪気な残酷さが好き。……覚えてる? 進路調査のとき、【みすずがそこ受けるなら私もそこでいいかな、それでたぶん間違いないでしょ?】って簡単に決めたこと。アナタの、そんな他人に人生を委ねる危なっかしさが好き。……好き。好き。大好きなの」 (赤花美琴)「あ、あの、えっと、うん、覚えてる、覚えてるよ、でもっ……」 (青桐みすず)「ねぇ美琴。ワタシね、アナタに相応しい人間になるために、色んなことに挑戦したわ。もしワタシに友達が少ないままだったら【あの子は同情心で彼女と付き合ってるんだ】って美琴が思われちゃう、だからワタシ、友達もたくさん作ったの! もしワタシが醜いままだったら【あの子は同情心で彼女と付き合ってるんだ】って美琴が思われちゃう、だからワタシ、一生懸命ダイエットだってしてるし美容にも気を使ってるわ、アナタが望むなら整形したっていい。もしワタシが精神的にお子様のままだったら【あの子は同情心で彼女と付き合ってるんだ】って美琴が思われちゃう、だからワタシ、色んな女の子と付き合ってみたの。あ、もちろん今はもう全員フッたわよ? ワタシには、最初からアナタだけだもの」 (赤花美琴)「凄いよ、美琴が凄い頑張ってたのは私だって知ってるよ、だからっ……」 (青桐みすず)「美琴っ!」 (赤花美琴)「は、ハイ!」 (青桐みすず)「……ワタシね、たぶん女性が好きとか男性が好きとかじゃなくて、美琴が好きなの。何人もの女性と付き合ってきたケド、ソレはたまたま美琴と同じ性別だったから。そういう意味では、ワタシは同性愛者ではないのかもしれないわね。……ねぇ美琴、もし、もし仮に、美琴が男の子だったら、きっとワタシ、こんなに苦しまなくても良かったんだろうね……」 (赤花美琴)「そんな、こと……私だって、みすずを苦しめたくないよ……苦しめたくないに決まってるよ……みすずが望むなら私、恋人になったってかまわ……」 (青桐みすず)「ソレじゃダメなのよっ!!!」 その刹那、赤花美琴の腰に廻された青桐みすずの両腕の緊張が格段に増した。硬直し震えるその腕には相当に力が込められており、赤花美琴の力だけでは到底振り払えない。 (赤花美琴)「ダメ、って……どうして……私なら別に、無理してるとかじゃ……」 (青桐みすず)「それでもダメなのっ! あの世界に戻ったらいつか、いつかはダメになってしまうの! 残念だけど、悔しいけど、ソレが現実なの! あの世界は誰もワタシを、ワタシみたいなのを祝福なんてしてくれない、ただ遠くから軽蔑してるだけなのよ! ソレがあまりにも遠過ぎるからあたかも受け入れられてると錯覚しちゃうだけで、本当はみんな見世物として扱ってるのよ! ワタシはそんなの嫌、嫌なの、ワタシはともかく美琴が軽蔑されるなんて絶対に嫌、耐えられないわっ!!! だか、ら、だから、みこ、と……」 青桐みすずの叫びは、徐々に窄んでゆく。まるで絶望すらも、枯れてしまったかのように。掠れ、途切れ、最後にはひくついた嗚咽だけが、二人の周囲に揺蕩っていた。 (赤花美琴)「みすず……ごめんね……私、みすずのこと、何も分かってなかったんだね……それなのに、私は……」 ――自分が一番の【友達】だと思ってた、って思わず言ってしまうところだった。これが、【無邪気な残酷さ】なのかな。 【女の子が女の子を恋人にするということ】がどれほど大変なのか、よく分からない。正直、生理的に無理、だなんて私はまったく思わないから。自由に好きな人同士、お付き合いをすればいいのに。でも、……これが、【気楽に応援する無責任さ】なの? 分からない、分からない! あぁ、つまり私はお子様なのだ。今、目の前で起こっていることでさえも、分からないことだらけで何も見えていない。これから自分がどうなってしまうのかすらも、その覚悟さえも出来ていないんだ。 でも、それでも、相手がみすずなら私、たとえ【危なっかしい】って言われたって…… (青桐みすず)「美琴、……選んでほしいの」 その声は、また元の調子に戻っていた。すなわち低い調子で澄んでいる、つまりは何かしらの決意を秘めた―― (青桐みすず)「ワタシと一緒にこの夢見る孤島で眠りにつくか、それともワタシを置いてあの世界に帰るか、選んで。……あぁ、安心して。どちらを選んでも、ワタシは美琴を恨んだりなんてしないから。どちらを選んでも、ワタシがアナタを愛しているという事実は永遠に変わらないんだから」