(青桐みすず)「あさみ、大きな音がしたけど大丈夫……っ!?」 幼馴染である紫苑あさみと青桐みすずは、悩みを相談し合う仲でもあった。何故なら二人の苦悩は共通してしたのだ。つまりソレは―― (紫苑あさみ)「みすずちゃん、……私、やっちゃった……つい、に、やっちゃった、よ……」 紫苑あさみが下眼瞼に涙を湛えながらも浮かべた笑顔は、歓喜や悲観が入り混じっていた。 (青桐みすず)「何で、何でこんな事にっ……ねぇ、どうしよう、どうしようっ!?」 当事者ではない青桐みすずの方がはるかに取り乱している。その様子を一瞥した紫苑あさみは、あぁきっともう自分のココロは翠菊さんと一緒に死んでしまったんだ、だから殺してしまった事に関してはまったく後悔していないんだ、そんな結論に達した。 (紫苑あさみ)「えへ、……泣いて、てゴメン、ね? も、う、大丈夫、だから……」 そう、彼女の後悔は、たった一つだけ。 (紫苑あさみ)「ねぇ、みすずちゃん……私、に、考えがあるんだ、ケド……」 そして彼女が生きている間にすべき事もまた、たった一つ。 悔恨を懺悔し運命を成就する、そのために今しなければならない事を紫苑あさみは語り出すのだった。 (青桐みすず)「……本当に、ソレでいいの?」 翠菊透華の亡骸を見下ろしながら、青桐みすずは確認する。 (紫苑あさみ)「うん。もう、……私は、穢れ、て、しまった。橙花様、とは、一緒に居ら、れない。だったらもう、……いい、の」 (青桐みすず)「あさみ……」 (紫苑あさみ)「もう、いい、の……」 擦れる声でそう囁きながら、フラフラと紫苑あさみは青桐みすずにもたれた。 (紫苑あさみ)「もう……もう……う、うぅううう……」 支えきれずに青桐みすずが壁へと背を預けた拍子で、電灯のスイッチが押される。 (紫苑あさみ)「うぅう……うぅ……うぁ、わぁあああ……」 覚悟したはずだったのに、いざ全てを言葉にしてしまうと涙をこらえきれなかった。 (紫苑あさみ)「う……うぅ……とう、か、さまぁあああ……」 慟哭する少女、抱擁する少女。そして物言わぬ醜い肉塊。 窓から差し込む青白い月桂が、その全てを等しく照らし出す。 (青桐みすず)「あさみ……」 あぁ、そして、あまりにも等しく、平等に月明かりが降り注いだせいだろうか。 部屋を充たす生と死が、その境界線を徐々に失い始めて―― (紫苑あさみ)「ねぇ、みすず、ちゃん……あの庭園、綺麗だよ、ね……」 それから、何分が経っただろう。 再び落ち着きを取り戻した紫苑あさみは、月に導かれるように窓際へと歩みそして眼下の景色に見惚れていた。 (青桐みすず)「うん、そうだね……とっても綺麗。実はワタシも、ここに来た時からずっと思ってた」 (紫苑あさみ)「ね。あのカサブランカ、……橙花様、が、特に、気に入っていて、それで植えさせたって、だか、ら、あさみにも、見て、欲しいって、だから、だから……」 再び目を潤ませた紫苑あさみだったが、もう彼女は泣き声を上げたりはしなかった。 (紫苑あさみ)「ね、みすず、ちゃん。さっき、まで、この手、……橙花様、が、愛でて、くれてたの……」 透かすように手のひらを掲げた紫苑あさみの表情が、少しずつ冷めてゆく。 (紫苑あさみ)「私、は、ただ、橙花様と、居られれ、ば、それで、良かった、のに……それ、だけ、だったのに……ねぇ、みすずちゃん、ソレって、そんな、に、いけない事、だったの、かなぁ……」 (青桐みすず)「いけないワケ、……ないじゃない。だって、ワタシだって……」 脳裏を霞めるのは、愛しの彼女。 でもその笑顔は、友人として、友人に向けられたもので―― (紫苑あさみ)「【気持ち悪い】」 その声は、とても彼女のものだとは思えなかった。それ程までに低く、冷たく、嘲笑的だった。 (青桐みすず)「あ、あさみ……?」 震える声は無慈悲な月桂に掻き消され、当の紫苑あさみはずっと窓の外を見下ろしたまま動かない。 (紫苑あさみ)「……そう、翠菊さん、に、言わ、れたの。吐き気、が、するって。お前達は、オカシイって。でも、……オカシク、だ、なんて、ないよ、ね? 私達、普通なん、だよね……そうでしょ、みすず、ちゃん……」 (青桐みすず)「当たり前よっ!」 青桐みすずは声を殺してそう叫び紫苑あさみの肩を強く掴んだ。 (青桐みすず)「おかしいワケ、ないじゃない! 誰を好きになったって、そんなのいいに決まってる! 何で、何でダメなのよ! ワタシ達が誰に迷惑を掛けたっていうの!?」 (紫苑あさみ)「そう、だよね……うん。私、も、そう、信じてたし、信じてる。でも、……やっぱり、人間、て、自分の中、に、無い物は、否定から、入るんだよ、ね……」 眼下のカサブランカが、ゆらゆらと手を振るように揺れている。 それは別離か、それとも―― (紫苑あさみ)「決して、ね? その、判断を、プラスにまで、持って行か、ないの……マイナス、から、よくてもゼロ、に、なった時点、で、終わっちゃう、の……【私、は、違うけど、貴女は、ソレでいいんじゃ、ない?】で、終わっちゃう、の……」 (青桐みすず)「あさみ……」 (紫苑あさみ)「だから、絶対に、分かり合え、ないの……分かり合えたよう、に、見えても、ソレは、住み分け、が、出来てる、だけ、なの……」 その一言一言が青桐みすずの肺を鷲掴みにする。 途端に呼吸が荒くなり、彼女は胸の辺りが急速に冷えてゆくその一瞬一瞬を体感せざるを得なかった。 (青桐みすず)「そんな事っ……そんな事、言わないでよ……そんな事言われたって、ワタシ、どうすれば……」 (紫苑あさみ)「うん……ゴメン、ゴメン、ね……こんな、事、みすずちゃん、に、言っても、しょうが、ないよね……私達、の、力じゃ、どう、にも、ならないんだよね……」 少女達は、祈りという行為そのものに縋りつく。 願うだけでは決して叶わない事を知っていて、それでもそうするしかなかった。 「うぅう……うわぁあああ……」 涙は、無価値。 懇願は、無意味。 同情心は、無節操。 だから百合の花は、自滅回路。 本心を知ろうと興味本位で繋げば、誰も彼もが傷つけられる。 愛は世界を、確かに彼女達をも救うけれど、ならばその愛の存在は誰が保障してくれるのか? 少女はソレが知りたくて、でもひたすらに怖かった。 もしも、無いと言われたら。 怖くて怖くて、だから少女は泣いていた。 たとえソレが、無価値でも―― それから、今度はどれくらいの時間が経ったのだろう。 ふと、紫苑あさみが囁く。 (紫苑あさみ)「ねぇ、……みすずちゃん」 その声からはもはや、絶望が失せていた。 (青桐みすず)「な、に……?」 それは、はたして涙と共に流れ出てしまったのだろうか? それとも、月明かりで風化してしまったのだろうか。 (紫苑あさみ)「私、……何も、出来ないまま、で、終わりたく、ない。どうせ、一緒には、居られない、なら、……ねぇ、」 いずれにせよ、彼女の虚ろな眼に映る月が、 「復讐が、したいの」 腐りゆく――