(橙花まゆ)「私が、愚かだったのです。もちろん親族からの嫌がらせは知っていました。でも、ここまで露骨に手を出してくるだなんて。本当に、本当に私は……」 その声は、いつの間にか涙に濡れていた。 (橙花まゆ)「愚かでした……一族の動きは把握しているつもりだったのです。しかし所詮は彼らの手のひらで踊らされているだけでした。私は、あさみの遺書を読むまでそんな事に気がつく事すら出来なくて……」 悲しみに暮れた少女の、静寂なる嘆き。それは、たったそれだけで彼女の主張を正当化してしまいそうな程の狂気を孕んでいた。 (赤花美琴)「紫苑さんが、……翠菊さんを? ……おかしいじゃない! じゃあどうして、紫苑さんがあんな事に?」 この雰囲気に呑まれてしまったら、――きっと、私もここから帰れない。 赤花美琴は決死の覚悟で踏み止まり、彼女の虚飾を剥がそうと結果をただありのまま口にした。 (赤花美琴)「どうして、どうして紫苑さんが死ななきゃならなかったの!? 翠菊さんを殺してしまったのは、……紫苑さんなんでしょう!?」 (橙花まゆ)「……【どうして】?」 その言葉を聞いた瞬間、橙花まゆは眉根を寄せ憎悪に滲む眸で赤花美琴を射殺した。 赤花美琴「ひっ……」 (橙花まゆ)「【どうして】? どうして、どうしてですって! うふふ、……うふふふふふふっ! あははははははっ!」 身を反らし天を仰ぎながら発狂したかのように嗤い出す橙花まゆを、赤花美琴は唖然としながら見つめる事しか出来ない。 (赤花美琴)「と、橙花、さん……」 (橙花まゆ)「あはは、あははははっ! そう、そうなのね、貴女は知りたいと言うのね、何故、どうしてあさみがああならなければならなかったのかをっ……!」 くるくる、狂々と舞い続ける橙花まゆが、――突然、ぴたりと静止した。 そして才能の無い傀儡師が踊らせる関節が劣化した操り人形のようにカク、ガクリと首や腕を動かしながらやがて指先を赤花美琴に向けると、顔面に纏わりつく艶髪から透けて見える濁った眼球で彼女を捉えながら震える声で言葉を紡ぐ。 (橙花まゆ)「そう……貴女はこの先を、……知りたいと、そうおっしゃるのね?」 それは、知ってはならぬ事を知ってしまった者を嘲る喜びに、震える声。 (橙花まゆ)「知りたいのね!? ふふ、うふふ、あははははっ! いいわよいいわ、もちろんいいわよ? 教えてあげる、どうせ貴女、自分は蚊帳の外だと、ただ他人の諍いに巻き込まれただけなんだと、そう思っているんでしょう? ざーんねん、違う違う、まったく違うわ! むしろ貴女が、貴女こそがこの夢から覚めるべきではないのよ!」 (赤花美琴)「わ、私が……何、どういう事? 私と橙花さんにどんな接点が……」 確かに、橙花まゆの指摘は的を射ていた。 赤花美琴からすれば、私は巻き込まれたのだと、どうして私がこんな目に会わなきゃ、こんな事に付き合わなくちゃならないのかと絶望していたのだ。 (橙花まゆ)「あら、……私がいつ、【貴女】と【私】に、と申しました?」 口角を吊り上げられまるで繊月のように変容した彼女の口元は、内臓の奥底に渦巻くドロドロとした収斂味のある毒酒塗れの言葉を今か今かと待ち侘びている。 (赤花美琴)「橙花さんじゃ、ない? 何言ってるの、それじゃいった…………っ!?」 疑念に次ぐ疑念、錯乱した叫びはしかし最後まで吐き出される事無く無念にも凍てついてしまった。 そう、彼女の背後に這い寄る気配がそうさせたのだ。 (赤花美琴)「ひっ……」 それは寒気という言葉だけでは到底済ませられない、背中の皮を細く深く抉られるかのような怖気。 赤花美琴は、直感した。 橙花まゆが何と言おうとも、今自分の真後ろに迫る気配の正体こそが犯人であり、自分をこの悪夢へと誘った張本人なのだと。そして、 (青桐みすず)「……どういうつもりなの橙花さん、美琴を巻き込むだなんて」 それが、――自分の親友なのだという事も。 (赤花美琴)「み、みすず……な、何……どうしたの、急に、あ、あはは、嫌だなぁもう、そんな怖い顔して……」 (青桐みすず)「……」 赤花美琴は出来る限りの笑顔を必死に貼り付け取り繕う。 彼女が犯人だなんて、そんな。まさか。ありえない。 しかしそんな期待は虚しくも消失し、そこにはただ冷めた貌で橙花まゆを視界に捉えた青桐みすずの姿があるだけだった。 (赤花美琴)「みすず……どうしたの、ねぇ……ねぇってば、何か言って、よ……」 そうやって差し伸べられた震える手を、青桐みすずは笑顔と共に自らの双手で優しく包み込む。 (青桐みすず)「大丈夫だよ、美琴。ワタシがアイツから、……アナタを守ってみせるから」 その手は確かに暖かいのに、何故か熱が伝わらない。だから赤花美琴の指先は震えたままだった。 (橙花まゆ)「あらあら、随分と私も嫌われたものですわね」 橙花まゆは大げさに首を傾げながら手のひらを天井に向け、そして双腕を胸の高さにまで上げておどける仕草を見せると皮肉めいた口調でそう言った。 (橙花まゆ)「私のあさみを手に掛けたのは、……そちらだというのに」 (赤花美琴)「えっ……?」 (青桐みすず)「……」 赤花美琴は驚愕の表情で青桐みすずの眼を見るが、しかし彼女は笑顔のままで何一つ変わらない。 (赤花美琴)「うそ、だよね……? ねぇみすず……みすずがひとをころすなんて、嘘だよねっ!?」 (青桐みすず)「……美琴、」 それは誰の悪戯か、開け放たれた入口の扉の前に立っていた青桐みすずの全身を太陽の柔らかな可視放射が背後からそっと包み込んだ。 影絵となり黒に塗り潰されてゆく彼女は本当に、本当に優しい口調で、 (青桐みすず)「ワタシはね、誰も殺してなんていないよ」 だからきっと、見えないその貌は今だって笑顔に決まっていて―― (青桐みすず)「ワタシはただ、あさみの望むようにしただけ。あさみが『もう橙花様と一緒には居られない』って言うから、だから手伝ってあげただけ、最期を看取ってあげただけなの。ソレって当然でしょう? だって彼女は、」 あぁ、彼女は、青桐みすずは、私の―― 「……ワタシの大切な幼馴染、親友なんだからっ!」 ――ココロが、塗り潰されてゆく。 何色なんだろう。黒一色じゃない、もっとよく分からない、ぐちゃぐちゃとした色で。 灰色なのかもしれない。それとも、もしかするとモノトーンではないのかも。 とにかく、ベタベタとした何かがココロを、胸を塗り潰して、息が苦しい。 呼吸の仕方は覚えているのに、確かに吸って吐いているのに、空気が廻らない。 そのうちに胸のあたりが締めつけられて、だんだんと痛くなってきちゃった。 (赤花美琴)「みすず……」 そして影絵が、教えてくれた。 あの夜の、その先を。