その日の夜。 つつがなく一日を終えた少女達は予め用意されていた食事を終え、入浴を済まし翌日の予定に胸を躍らせて各々の部屋で眠りについていた。 (ボクっ娘)「うーん、むにゃむにゃ……」 それは、唯々純粋で穏やかな眠り。また明日出会えるだろう喜びを無垢な気持ちで今か今かと待ちわびる少女達の甘い夢にくるまれて、洋館全体が一つの理想郷と化していた。 ――数時間後、昼間の喧噪が嘘のように静まり返る廊下を人影がよぎるまでは。 (お姉さん)「……あら、いらっしゃい」 その人影は(お姉さん)の部屋のドアを静かに、まるでそんな音がこの廊下に響く事なんてとてもとても自然だとでも言わんばかりの音程をともなって叩いた。すぐにドアを開けた彼女もまた真夜中の来訪者を予見していたとばかりの態度で自然に出迎え部屋へと招き入れる。 (お姉さん)「それで、何の用かしら? ……って、うふふ。呼び出したのは私だったわよね」 しかし口調は昼間と異なり冷淡、その眼は眠気なぞ一片たりとも感じさせず隙あらば眼下の少女を射殺さんと言わんばかりの鋭さを纏わせていた。 (お姉さん)「うふふ、そんなにビクビクしなくても。まぁまぁ、ここじゃアレだしとりあえずは入りなさい?」 そしてドアが微かに軋みながら閉じ、廊下は元の静寂に包まれたのだった。 (お姉さん)「それで……私が言わなくても分かってるわよね? 貴女は、……相応しくないのよ。まったく、わざわざ私が口にしないと分からないワケ? ほんっと、汚わらしいったらないわね」 それまでの柔らかな言動の数々が嘘のように、彼女は侮辱に塗れた言葉を来訪者になすりつける。 (お姉さん)「何なら……無理矢理にでもいいのよ? いっその事、全員を巻き込んでも。何せ私には、その権限が与えられているのだから」 対する来訪者は必死に状況を改善しようと言葉を選び拙くも紡ぎ続けた。 しかし―― (お姉さん)「あっはははは! ばっかみたい、ホント貴女達のお遊びにはうんざりするわ! いい加減、気色悪い存在なんだって事を自覚してほしいわね、マイノリティがもてはやされるのは鳥籠の中で囀る見世物だからなんだって事がその歳でまだ分からないのかしら!?」 その貌は愉悦に充ち満ちていて、自分達は彼女が言う通りの立場にある人間なんだという事を痛感させられる。 確かにその関係は歪んでいて、いつかは途切れてしまうものなのかもしれない。それでも、それは、その瞬間は、自分達で決められるものだと期待していた。儚い夢を見ていた。極々普通の恋人同士のように愛し合い、そして裏切り、嫉妬し、あるいは憎み、そして別れる。それは自分達の中だけで完結するものだと思いたかった。 (お姉さん)「無理無理無理ぃ、この旅行に私が同行した理由だって貴女達を監視するためなのよ? どうせ貴女は彼女の部屋で一夜を共にするつもりだったんでしょう? そんな事されたら困るワケよぉ、だから貴女だけ呼び出したってワケ。それにしても、……うふふ、どうやって彼女を振り切って来たの? 直前まではきっと、一緒に居たんでしょう?」 (来訪者)「す、睡眠薬……の、飲ませてきま、きましたので……」 (お姉さん)「あらあらぁ、そうよねそうよねぇ、それくらいの事しないとあのお嬢様は貴女を解放してはくれないわよねぇ! まったく、(女王様)にも困ったものだわ。あんな異常者でも一族の跡継ぎっていうんだから上も何考えてるんだか」 (来訪者)「そ、そんな、事……言わないでくだ、さい……」 (お姉さん)「何々、そういえば貴女は彼女の何処がそんなに良いのかしら? あんなワガママ女、一緒に居て疲れない? あぁそれとも、……貴女みたいに自己主張の出来ない事を美徳とするようなクズにはあれくらいの方が良いのかしらねぇ? うふふ」 繊月のように細まった口元に手を添え悦に浸る眼で蔑む(お姉さん)に対し来訪者、 (気弱ちゃん)「(女王様)はそ、そんな人じゃ、ないで、すっ……」 (気弱ちゃん)は精一杯の声を張る。 (お姉さん)「あらら、無理しちゃってぇ。私の方がつきあい長いから分かってるのよ? 正直に言いなさいな、あの娘性格最悪じゃない? それともアレが優しさだと思うんなら何言っても貴女には無駄かなぁ? 周りの人からはそうは見えてないと思うけどね、うふふふふ!」 (気弱ちゃん)の立ち振る舞いが誰もをそうさせるのか、例に漏れず(お姉さん)もまた彼女が最悪と説く(女王様)のように加虐心をそそられ嬲り続けるのだった。 (気弱ちゃん)「だ、だから(女王様)はそ、そんな人じゃ、ないっ……」 (女王様)を思うその気持ちに嘘偽りは無い。しかし不幸にも彼女はそれを上手に言葉へと置き換える事が出来ず、唯々嗚咽混じりに呻き声を漏らすのがやっとだった。 (気弱ちゃん)「そんな、そん、な人、じゃ……」 脳裏に、海辺での記憶がよぎる。 こんな不甲斐ない自分を、優しくあやしてくれた彼女。 普段なら、学校ではまだある程度の自由が許されていたが放課後はそうもいかない。 一緒に居られるのは校門まで。そこからはお迎えの車に乗せられた彼女を見送る事しか出来なかった。そこから先の彼女の事はまったく知らない、それでも自分は彼女の事を―― (お姉さん)「あ、そうそう、そういえば(女王様)ってさぁ、」 (気弱ちゃん)のそんな葛藤を十分に堪能したのか、打ち震える少女をそのままにベットへと腰掛けた彼女は俯き立ち尽くす(気弱ちゃん)の貌を下から覗き込むかのように身を滑らせ乗り出し蛇の舌先をちらつかせると、シャワーあがりにもかかわらず纏う淫靡な香水の香りと共に醜悪な言葉を吐きかけた。 (お姉さん)「……他にも妾の娘がたっくさん居るって話だけど、貴女は知ってるのかなぁ?」 (気弱ちゃん)「っ!!!」 刹那、心臓が高鳴った。 その位置が、はっきりと自覚できる気がする。 鼓動が、――痛覚を超えて痛い。 すると彼女は身を翻し、とぼけるような仕草で小首を傾げピンと立てた人差し指で唇を押さえ付けながら続けるのだった。 (お姉さん)「あぁもちろん知ってたわよねぇ? 何せご自宅にもしきりに招いていたようでしたし、ね〜!」 その満面の笑みは口惜しい程に美しかった。彼女の美貌を遺憾なく発揮した微笑みであり先程までの醜陋で下卑た貌の方が幾分ましと思わざるを得ない程に(気弱ちゃん)の喉を絞め潰した。 (お姉さん)「あれぇ……もしかして知らなかったのかしら?」 彼女はその隙を、決して見逃さない。 (お姉さん)「あ、そっか、そういえば貴女は学校でだけのお付き合いでしたものねぇ! あはははは! かっわいそう! 学校で過ごす時間の、更に二人きりで居られる時間だなんてほんのわずか! 一時間にも満たないんじゃないかしら!? その程度のお付き合いで(女王様)の事を知った気に? 自分が下僕としてひれ伏し付き従えば末永く一緒に居られるとでも!? 自分が誠意を見せれば相手も応えてくれるとでも? あはははは、無理ムリぃ! 知ってるぅ? 彼女、自宅では高級娼婦並みの見た目と知性を身につけた娘をはべらせてそれとは別にやっぱり美人さんなメイドに身の回りの事をさせてるのよぅ? 貴女に出来る事なんてなんにも無いわ!」 (気弱ちゃん)「そん、な……う……」 言葉が続かない。肺を満たす空気は咽頭部に揺蕩う嗚咽による唾液に塗れ溶けてゆくだけだった。