(主人公)「……扉が……開いている?」 一階ロビーより地階へと続く階段の奥にある扉は少しだけだが確かに開いていた。 昨日、全員でこの館の扉の施錠を確認したはずなのに、だ。 (女王)「……何ですって?」 (女王)の声色は、相変わらず低く落ち着いたものだった。 その足元から舐め取るかのような声が、新たな惨劇の幕開けの予感させる。 (主人公)「(女王)さん、あそこには何が?」 (女王)「……アクアリウムよ。そんなに大きくはないし今はもうずっと、使っていないわ」 その扉が、……開いている。 その場にいる全員が、その意味を瞬時に理解した。 (主人公)「……行ってみよう。全員で」 (クール)「そうだね。……この島にはボクらしかいないハズなんだろう? じゃあソレが一番安全、さ」 ――カツン、カツン。 大理石で出来た階段が奏でるリズムは時に重なり時に解れ、まるでこの場に居る少女達全員の心理状態を象徴しているかのようだった。 (主人公)「じゃあ……開けるね」 扉を完全に開放し足を踏み入れる。 地下室特有のひんやりとした、命の灯火を感じさせない空気が止まない耳鳴りを囁いていた。 (ボクっ娘)「暗いよ~、電気付かないの~?」 (女王)「このアクアリウム内は水槽に備え付けられた間接照明とメンテナンス用のシーリングライトだけよ。両方ともスイッチは奥のスタッフルームにしか無いわ」 (ボクっ娘)「えぇ~!? こんなに暗いのにどうやってそこまで行くの~? も~ぅ! 欠陥住宅だよ! ぷんすか!」 (女王)「うふふ。……優先すべき事は何か、という事よ。せっかく暗闇に沈む我身と宙に浮かぶ水槽との対比を楽しんでいるというのに、部屋に入ってすぐスイッチがあってはいけないの」 (女王)は子をあやす母親のように優しく(ボクっ娘)の頭を撫で、そう諭す。 (ボクっ娘)「そう、なの? ……う~ん、分かったよ~な、そうじゃないよ~な~?」 (女王)「うふふ。……少しずつ、少しずつで良いの。理解するという事は、……本来そういうものよ」 (クール)「……」 (幼馴染)「怖い……」 (主人公)の隣で震える(幼馴染)が、彼女の手を細く強く握り締める。 (主人公)「大丈夫だよ」 何に対して、どう大丈夫なのか、既にそんな事は誰も口にしなかった。 口にしたところで、……起きてしまった現実はもはや何一つとして覆らないのだから。 (クール)「……奥の方から、光が漏れているね。何だろう」 確かに、入ってきた扉とは反対側の壁面の一部がぼんやりと翠色に光っていた。 いくつかの水槽が折り重なるようにして連なりはっきりとは見えないが、どうやら奥にある扉から漏れているらしい。 (主人公)「あれが、スタッフルーム?」 (女王)「違うわ。スタッフルームへの扉は奥の壁面の、角にあるの。あれはプライベートアクアリウムよ」 (主人公)「プライベート?」 (女王)「えぇ。お父様はあの部屋にある唯一の水槽……天井から床までを繋ぐ柱状の水槽を眺めながら、独り悦に浸り鋭気を養っていたそうよ。うふふ」 (クール)「何だか悪趣味に聞こえるね。いったい何を泳がせていたんだい?」 (女王)「ふふ、……嫌ねぇ、水槽の中で飼い殺す生き物なんて聞くまでもないじゃない」 (クール)「……まぁ、今更キミの家族に対して驚いたりはしないよ。それよりも、行ってみよう」 (主人公)「……そう、だね」 (幼馴染)が触れる(主人公)の手が固く握り込まれてゆくのを(幼馴染)だけが感じていた。 まだ、……まだ彼女達は日常と非日常の境界線を踏み越える事を躊躇っていた―― ――しかしその場にいくら踏み止まろうとも、境界線は揺蕩う事無く地を這い躙り寄る。 扉を開いた彼女達は、改めてその事実を痛感する―― 「!!!」 扉の先に広がる光景に、全員が息を飲んだ。 純黒に包まれた室内の中央で翠色の間接照明に照らされた柱状の水槽。 そこには――(お姉さん)が閉じ込められていた。 (主人公)「(お姉さん)!」 その言葉はただ闇に飲み込まれ消失する。 返事は無い。 当然だろう。 何故なら水槽内は、液体で満たされているのだから。 その長い髪は縦横無尽に水中内を漂い、その身体は一糸纏わぬ姿で頭を下にして水槽内を漂っていた。 両足を胸元まで折り曲げそれを包み込むかように両腕を巻き付けている。 髪と髪の隙間から垣間見えるその顔に苦悶の表情が浮かんでいないのがせめてもの慰めだろうか。 しかしうっすらと開いた眼の奥にある瞳孔と虹彩に艶を感じる事は出来ない。 死んでいる。――彼女は、死んでいるのだ。 (幼馴染)「いやぁあああっ! もう嫌っ! 嫌なのっ! あぁあああっ!」 まるで崇高な芸術性を帯びているかのように彩られた水槽を前に全員が絶句する中、突然(幼馴染)が叫声を上げた。 そしてそのまま室内を包み込む闇、その中へと逃げ惑い消えてゆく。 (主人公)「(幼馴染)ちゃん! 危ないよ、戻って来て! (幼馴染)ちゃん!」 (主人公)が何度も呼びかけるが返事は無い。柱状水槽の間接照明以外に一切の電灯が無いこの状況では闇雲に追い掛ける事もままならなかった。 (クール)「……マズいな。(女王様)、スタッフルームは?」 (女王様)「こっちよ。鍵は屋敷内と同じでこのマスターキーで開錠出来るわ」 残った全員でプライベートアクアリウムを出てスタッフルームを目指す。 幸いな事に扉はすぐ発見され、階上にあるスタッフルームへとたどり着いた少女達は室内全体を照らす事が出来るシーリングライトのスイッチを入れる事に成功するのだった。 (クール)「コレで、排水出来るハズだ」 アクアリウム内のコントロールパネルを見つけた(クール)がスイッチを操作すると、言った通り途端に柱状水槽の排水が始まった。 (クール)「あの水槽内には、どうやって……」 (女王様)「あの部屋はここの丁度真下。あの水槽内へは、この部屋から入れるハズよ。……あったわ、あそこの床にある円形の蓋の中が直接水槽内に繋がっているわ」 (クール)「排水は……今、完了したよ」 (女王様)「じゃあ、……(ボクっ娘)、開けてちょうだい」 (ボクっ娘)「えぇ~!? ボクがするの~?」 (女王様)「他に誰がいるの? (主人公)ちゃんは(幼馴染)ちゃんを探しに行っちゃったし」 (ボクっ娘)「でも~、……う~ん」 (クール)「いいよ、ボクが行こう」 (ボクっ娘)「わぁ~い! (クール)ちゃん、よろしくね~!」 (女王様)「……」 (クール)「不服かい?」 (女王様)「……別に。蓋を開けるならそこのレバーを回して」 言われた通りに蓋に備え付けられたレバーを回しロックを解除すると、特に問題も無くすんなりと開いた。 続いて水槽内に梯子を下ろし、(クール)が下りてゆく。 (クール)「コレは……」 (女王様)「どう? 引上げられそうかしら?」 (クール)「このままだと難しいね。さっきは気付かなかったけど手足が解けないようにガッチリと身体周りを縛られているみたいだ」 身体以外にも、水中での位置を固定するために水槽の床と(お姉さん)の首が結ばれ固定されている。 見る限りでは素手で切断したり解いたりする事は難しそうだった。 (クール)「(お姉さん)には悪いけど何か道具が見つかるまでこのままにしておくしか……」 ――ズン。 ふいに水槽上部にて鈍い音が響き、(クール)は空気の澱みをその肌で瞬時に捕らえた。 (クール)「っ!」 視線を上へと向けると、――なんと蓋が閉じられている。 (クール)「くそっ! (女王様)、何のつもりだ!」 その怒号は、しかし水槽内の分厚いガラスに反響して自身の鼓膜を引っ掻くだけだった。 梯子を蓋にぶつけ開きはしないかと試すが、残念ながらビクともしない。 そのうちに、息が苦しくなり始めた。 (クール)「くそっ……!」 少なくとも水が漏れ出さない程度には密閉されている空間だ。すぐにそうなるとは考えたくないが、このままでは酸素量が心配だった。 (クール)「(主人公)が気付いてくれれば……」 これ以上身体を動かすのは、むしろ逆効果だ。 そう考えた(クール)は呼吸を整え、室内に誰かいないかを確認し始めた。 しかし―― (クール)「っ!!!」 無常にも水槽上部から水が噴き出してきた。