;------------------------------------------------------------------------------- ;Every Little Thing 〜星の涙 〜 ;------------------------------------------------------------------------------- ここはロシア連邦、バイコヌール宇宙基地のネオ・スプートニク27号打上前。 オレはこいつの打ち上げを見学するためにわざわざ日本からやってきたバカだ。 このためにオレはロシアの学校に留学したと言っても過言ではない。 正確にはロシアという国は存在しない。 ロシアを含むヨーロッパはEUの理念の下、ヨーロビアンというひとつの集合体となり、ロシアはそのひとつの州のようなものになっている。 オレが住んでいた日本も似たようなもので、アジアンと呼ばれている。 そんな細かい話はどうでもいい。 ユーリャ「男の子ってこういうのが好きなんだねぇ」 ヤマト「当たり前だ。メカやガジェットにときめかない男はすべからく萌え豚かオカマだ」 ユーリャ「そ〜なんだぁ。やっぱりヤマトも月に行きたいの?」 ヤマト「当たり前だろ! というかもう月くらいしか食い扶持ないしな」 西暦2064年。もはや地球の地下資源は枯渇寸前だった。 だが朗報もある。月での核融合技術が確立されたのだ。 そんなわけで、ゴールドラッシュよろしく、月での労働者、技術者は引き手数多という状況下にある。 説明終わり。 それよりも打ち上げ最終段階に入った。 軌道エレベーターが完成したいまの時代。こうしてロケットによる打ち上げの機会は失われるだろう。 このネオ・スプートニク27号の打ち上げも、基地のラストセレモニーなわけで、衛星自体に大した意味は無く、ロケットのサイズも一番小さなものだ。 ヤマト「これで打ち上げロケットは見納めかぁ」 ユリヤ「仕方ないよぉ。燃料は貴重なんだし、あのロケットの燃料を暖房代に回せばいいのにって思ってる人少なくないよぉ」 ヤマト「そういう夢の無いことを言うな」 ユーリャ「ヤマトだって寒がりのクセにぃ」 ヤマト「仕方ないだろ。マイナス20度とかで平気で散歩する人種とは身体のつくりが違うんだよ」 ユーリャ「うぷぷ。軟弱〜」 ヤマト「オマエの面の皮が厚いんだよ」 ユーリャ「ひ、ひど〜い。なんでそんなこと言うのよぉ〜」 ヤマト「そんなことより打ち上げ始まるぞ」 ユーリャ「わたしそんなに興味ないからいいよ」 ヤマト「ふざけてんのか。ちゃんと見ろ! オレひとりで見てもつまんねーだろ」 ユーリャ「どうしてぇ?」 こいつ鈍いな。オレがユリヤに惚れてるからに決まってるだろ。 まあオレは日本人でイエローモンキーなわけで、ヨーロピアン様には男というか同じ人間と見られているかも怪しいところだ。 ヤマト「わかんねーならいいよ。こういうのは大勢で見たほうがいいんだ。スポーツ観戦と一緒だ」 ユーリャ「そういうものなの? でもどうせデートするならこんな場所じゃない方がよかったよ〜」 え? いまこいつデートって言った? そ、そういうつもりで来たのか? ヤマト「ユリヤさん。ひとつ尋ねていいですか?」 ユーリャ「ユリアじゃなくてユーリャって呼んでくれないとダメです」 ユーリャとはユリアの愛称で、彼女の両親がそう呼んでいた。 ヤマト「ユーリャさん。ひとつ尋ねていいですか?」 ユーリャ「はい。発言を許します。どうぞ〜」 ヤマト「これはデートなの?」 ユーリャ「デートですよぉ。それともパパとママが一緒の方がよかった?」 ヤマト「そ、そうか」 ユーリャ「あ、発射した」 ヤマト「なんだと〜〜〜!」 ユーリャ「うわーきれい」 オレは発射のタイミングこそ逃したが、ユーリャと一緒に最後のロケット打ち上げを見ることができた。 -------- 〜1年後〜 オレはいま、月のラボで助手みたいなことをやっている。 助手といっても実験器具の準備や後片付けばかりで、研究らしいことはほとんどできないでいた。 朝起きて研究室に行って、クソみたいな仕事をして帰って寝る。 こういう生活が半年以上続くと、肉体的には問題ないが、精神的に堪えるな。 そういやユーリャはなにしてんのかな。 オレの人生で色気があったのは彼女の家にホームステイしていた数ヶ月だけだな。 後は泥臭い男にまみれての作業ばかりだ。 そんなことを考えながら作業をしていたら、帰宅時間となった。 研究者たちは居残りで作業をしているが、助手のオレにはこれ以上やることはない。 むしろ効率が悪いと罵られる。 研究所の電力消費を減らすため、不要な人材は早々に追い出すというわけだ。 ※面倒なのでタグ打ちながら作業 [自宅] 月であてがわれた部屋に戻ると、異変があった。 ドアのセキュリティが解除されており、中に誰かいるらしい。 とはいえ盗られても困るものはないし、監視カメラなどもあるから、押し込み強盗なんて効率の悪い犯罪を犯すやつは絶滅したと思っていたが……。 ヤマト「誰かいるのか?」 ユーリャ「プリヴェート」 そこにはなぜかユーリャがいた。 なんでいるの?>>105 家出 ヤマト「プリヴェートじゃねえよ。なんで居るんだ?」 ユーリャ「えへへ〜。家出してきちゃった」 ヤマト「オマエ馬鹿だろ!」 ユーリャ「なによぅ。せっかく頼ってきたっていうのに〜。ヤマトは嬉しくないの?」 そりゃ嬉しいに決まってる。だけどそれとこれとは話しが別だ。 ヤマト「ひとつ聞いてもいいか?」 ユーリャ「うん」 ヤマト「どうやってここまで来たんだ?」 ユーリャ「どうやってって、軌道エレベーターに乗って、ステーションから月行きの定期便を使って。おこずかいぜ〜んぶ無くなっちゃった」 なるほど。いやそういうことじゃない。 ヤマト「尋ね方を間違った。理由だ。どういう理由があってここに来たんだ」 ユーリャ「だから家出だっていったじゃない」 ラチがあかない。 ヤマト「まあいいか。半年前は世話になったから今度はオレが恩返しする番だな」 ユーリャ「さすがヤマト。それがヤマトダマシイってやつですか?」 ヤマト「全然ちげーよ。一宿一飯の恩っていうんだ」 ユーリャ「なるほど」 ヤマト「わかってねーだろ」 ユーリャ「あはは、それよりおなかすいたよ〜」 マイペースだな。 ヤマト「カップ麺しかないけどいいか?」 ユーリャ「大丈夫〜。おなかすいてるから、残飯でもおいしくいただけるよ〜」 ヤマト「カップ麺馬鹿にするな。日本が誇る完璧な保存食だぞ!」 ユーリャ「違うよ〜そういう意味で言ったんじゃないよ。ヤマトの怒りんぼう!」 くそ、なんだかんだいってこいつかわいいから困る。 オレはユーリャに飯を食わせてやった。 ヤマト「とりあえずメシ食ったら帰れよ」 ユーリャ「え? なんで?」 実に不思議そうな顔をするな。 ヤマト「ああすまん。帰れといったのは家じゃなくて、ホテルとかそういうところに帰れと……」 ユーリャ「そんなお金ないよ? ここに来る交通費で全財産無くなったっていったよ。聞いてなかった?」 そういやそういうこと言ってたな。 でもそれはなんというか誇張して言ってると思っただけで、本当に使い果たしてるとは思わないだろ。 ヤマト「泊まるつもりか?」 ユーリャ「うん」 くっそう。ニコニコ笑いやがって、オレをなんだと思ってやがる。 イエローモンキーに警戒の必要なしって思ってる? そんな浅はかな考えだとまずいよ。オレは紳士だけど、アジアンが全員紳士とは限らないんだぜ? 少し教育してやる必要があるな。 ヤマト「ユーリャちょっといいか」 ユーリャ「なぁに?」 ヤマト「ここはくっさい男の部屋です」 ユーリャ「そんなに臭くないよ?」 まあダクト式エアコンだから、ちゃんと掃除しとかないと苦情がきちまうから、言うほど臭くは無い。 ヤマト「くっさいというのは喩えで、なんていうの、オマエは狼の巣に来た子羊みたいなものだ」 ユーリャ「???」 まるで理解してない。ここはもうストレートに言うしかない。 ヤマト「ユーリャさん。僕は意外と理性は高い方ですが、貴女のような美人と二人で過ごして理性を保てる自信がありません」 ユーリャ「うん」 ヤマト「うん。じゃねーよ。理解してんの?」 ユーリャ「してるよ。そこは日本男児ど根性ってやつでガマンガマン」 ヤマト「だからできないって言ってるだろ? 犯すぞこら」 ユーリャ「わたしを傷物にしたらお父さんに殺されるよ?」 ああそうだった。 ユーリャパパは野生のグリズリーが裸足で逃げ出すくらいおっかない親父さんだった。 結局オレが我慢するしかないのか。 そうして結局オレが唇をかみ締めながら我慢することで決着した。 生殺しだよ。 翌朝目覚めると、ユーリャは居なくなっていた。 ……なんてことはなく、オレの隣で寝息を立てている。 くそうキスしちゃうぞ。このやろう。 ヤマト「おい起きろ。朝だぞ」 ユーリャ「ふぁぁ、もうそんな時間なの〜」 ユーリャが大きく伸びをして立ち上がる。 ヤマト「おおお、おま、なんて格好してんだ!」 スカートが無い。パンツははいているのか? 少なくともスカートはどこに消えた? ユーリャ「え? ああ、寝るときはこうだよ。スカートシワになっちゃうからねぇ」 シワになっちゃうからじゃねえよ。こっちはのり付けしたシャツの袖みたいにピンピンになっちまうだろ。 とりあえずユーリャが着替え終わるのを待つオレ。紳士だ。 ヤマト「朝飯は塩味でいいか?」 ユーリャ「なんのこと?」 ヤマト「いや、カップ麺の味だよ。しょうゆ、味噌、塩、トンコツ、カレー、シーフード、キムチと、全7種ある。一週間のローテーションだな」 ユーリャ「……シーフードで」 ヤマト「オッケー任せろ」 ユーリャ「ね〜ヤマト。わたしが作ろうか?」 ヤマト「いやいいってお湯を注ぐだけだからよ」 ユーリャ「ちがうよ〜ちゃんとした料理だよ。こんなのばっかり食べてたら病気になっちゃうよ」 任せようかと思ったが、食材が無いことに気付いた。 ヤマト「お願いしたいのはやまやまなんだが、これ以外に食材が無い」 というか月栽培の野菜とかめっちゃ高いねん。貧乏学生が買えるわけが無い。 ユーリャ「それじゃブレンドしてみよう!」 ヤマト「なにを?」 ユーリャ「カップ麺をだよ!」 嗚呼。こういうヤツが、素材の味を台無しにするんだろうな。 カップ麺のブレンドはオレも過去にやったことがあるが、とても食えたものじゃない。 勿体無いから食べたけど、それでも二度とやるもんかと思った。 ヤマト「いいから座ってろ。シーフードはシーフードのままがいいんだ。余計なものは入れない」 ユーリャ「うむむ。それじゃ今度ちゃんとした食材買って作るよ」 ヤマト「そうだな。そのうちな」 その食材が無駄になりそうな予感しかないが、とりあえずこういっておけば問題なかろう。 ユーリャ「約束だよ」 ヤマト「はいはい」 それからオレとユーリャは出来上がったカップ麺を食べ、朝食を終えた。 ヤマト「そろそろ理由を聞かせてくれよ」 ユーリャ「理由? 何の?」 とぼけている風ではない。本気で分かってないらしい。 ヤマト「家出の理由だ」 ユーリャ「あ〜!」 ヤマト「あ〜じゃないよ。今日は休みだからいいけど、いつまでもここに置いておく訳にはいかないんだぜ」 ユーリャ「どうして?」 ヤマト「オレが研究室に行くだろ?」 ユーリャ「うん」 ヤマト「この部屋には誰も居ないということになり、電力供給カット」 ユーリャ「どうなるの?」 ヤマト「人がいなければなんてことは無いが、人が居たら生きて行けない環境になるな」 ユーリャ「それ困る〜」 ヤマト「だろ? だから白状しちまいな」 ユーリャ「むー。仕方ないなぁ」 ヤマト「もったいぶることか?」 ユーリャ「そーだよ。だって人生の選択なんだよ」 人生の選択? なんだそりゃ。 ヤマト「とりあえず詳しく話せ」 ユーリャ「わかったよ」 ユーリャは渋々といった感じで、家出の理由を語り始めた。 家出の理由はよくある話で、ユーリャの将来のことだった。 親が決めた職業に就くことをよしとする風習がまだ残っているらしい。 ましてやあの親父さんが決めたというなら、逆らうのも大変だろう。 それにしてもパン屋か。似合ってる気がするけどユーリャは何が不満なんだ。 ヤマト「パン屋とかいいじゃねーか。女の子のなりたい職業の上位じゃないのか?」 ユーリャ「パンは好きだけどそれは食べる方で、作るのを仕事にしたくないの」 ヤマト「じゃあなにか他になりたいものあんのか?」 ユーリャ「あ、あるよ〜」 ヤマト「ほう。聞かせてくれ」 ユーリャ「な、成れなかったら恥ずかしいからいいよ」 ヤマト「大丈夫だ。笑ったりしないから言ってみろ」 ユーリャ「言っていいの?」 ヤマト「うむ」 ユーリャ「なんで偉そうなの〜」 ヤマト「いいから早く言えよ」 ユーリャ「わかったよ。あのね。わたしヤマトのこと大好きだから、ずっと一緒にいたかったの」 なんだって!! ヤマト「ままっま、あ、あ、まじか?」 ユーリャ「うそだよ」 ですよね〜。 ヤマト「おまえ、言っていいウソと悪いウソくらい分かるだろ!」 ユーリャ「ごめんごめん。本当はね。わたしも月で働きたいんだよ」 なるほど。そういう理由か。 ヤマト「両親は反対してるのか?」 ユーリャ「うん。お父さんはオマエはパン屋になるのが一番だって」 ヤマト「おばさんは?」 ユーリャ「お母さんは放射能アレルギーで宇宙とか絶対ダメ! 絶対って人だから」 なるほど。パン屋はともかく、宇宙関連の仕事はNGってわけか。 ヤマト「ここで帰ったらもう二度と宇宙には来れそうも無いな」 ユーリャ「うん。絶対に無理だね。ヤマトも寂しいでしょう?」 いきなりなに言ってんだこいつ。 ヤマト「そうだな。でも二度と会えなくなるわけじゃないだろ?」 ユーリャ「二度と会えないよ」 断言かよ。詳しい事情は分からないが、パン屋って良く考えたら、就職というより、そこに嫁ぐという意味じゃないのか? 多分そうだな。オレって冴えてる。 ……だからどうした。 そうじゃないだろ。オレはどうしたいんだ? ;選択肢 ;ユーリャを帰す(BADEND) ;こっちで生活できるようサポートする 一度帰るように促して、それでもダメならユーリャをサポートしてやるか。 ヤマト「とりあえず一度帰るべきだ」 ユーリャ「だから帰ったらもう二度と月にはこれないんだって」 ヤマト「じゃあどうする? さすがにいつまでもオレのところには居られないのは分かってるよな」 ユーリャ「うん。それはわかるけど」 ヤマト「しかたねぇな。でかけるから準備しろよ」 ユーリャ「ん? 何処に行くの?」 ヤマト「職安みたいなところだ。月に職を求めてやってくる連中は後を絶たないからな」 ユーリャ「ヤマト!」 ヤマト「喜ぶのはまだ早いぞ。月だって底辺職は腐るほど余ってるが、それなりの職に就くには……」 ユーリャ「大好き!」 オレはユーリャに抱きつかれ、それ以上喋ることの無意味さを知った。 ………… ユーリャはその日のうちに職を決めた。 笑えるというか皮肉にもユーリャが月で就職したのはベーカリーショップの売り子。 つまりパン屋だ。 これはユーリャの父親も閉口するだろうな。一応パン屋に就職したのだ。 場所は月か地球かの違いはあれど、パン屋には変わりない。 月の住宅事情はお世辞にも良いとは言えず、パン屋の収入で借りれる物件はそうそうあるものではない。 だから仕方なく、そう仕方なくオレはユーリャと同居している。 同棲ではなく同居、ルームシェアってやつだ。 なあにホームステイをした仲だ。なんてことはない。 部屋も二部屋あるアパートに引っ越したので、ユーリャと同じベッドに寝て悶々とするようなことは無くなった。 でもまあ壁一枚をはさんで隣に居ると思うだけで、右手がうなるわけですよ。 まあそんな話はどうでもいい。 ………… オレとユーリャが月で同居を始めて半年が過ぎた。 オレもようやく自分の研究をできる時間を持つくらいの余裕はできるようになった。 これはユーリャの働きによるところが大きい。 パン屋で働くユーリャは、その容姿からたちまち看板娘となり、給料も上がってオレがバイトする必要が無くなったからだ。 いままでバイトしていた時間をすべて研究に費やすことができるのはありがたかった。 ちなみに研究テーマは重力制御だ。 そんなある日、オレはとある粒子を触媒にすることで、従来の重力制御を格段に飛躍させることに成功した。 これはオレの発見というより、教授からの課題で間違ったやり方をしてしまい、その後片付けを行うとき、強力な力場が発生し、計器を破壊することで見付かった。 何が原因でそうなったのかを突き止めた時は興奮した。 ほんの数ナノ秒ではあるが、膨大な重力波を観測することに成功したのだ。 これを定常運動させることに成功すれば、人ロブラックホールも夢ではない。 ………… ヤマト「ただいまユーリャ!」 ユーリャ「おかえリヤマト〜。そんなに興奮してどうしたの?」 ヤマト「聞いてくれよ。世紀の大発明、いや大発見だ!」 ユーリャ「ふぅん。でもわたし、むずかしい事はわかんないよ」 ヤマト「わかるように話してやるって」 ユーリャ「聞くのはいいけど〜。ご飯食べてからじゃダメなの?」 ヤマト「わかった。メシ食いながら話そう」 ユーリャ「んもう。ヤマトはお行儀悪いなぁ」 オレは夕飯を食べながら、ユーリャに自分が発見した触媒を使用することで完璧な重力制御ができる可能性が高いということを説明した。 ユーリャ「すごいねのぇ」 ヤマト「まあな」 ユーリャ「でもヤマトには荷が重いと思うなぁ。教授に協力してもらったらどうなの?」 ヤマト「そんなことしたら手柄を横取りされちまうだろ」 ユーリャ「いいじゃないそれくらい」 ヤマト「よくねえよ! ロイヤリティとかライセンスとか、儲けは全部教授の懐にはいっちまうんだぞ」 ユーリャ「お金だけが幸せじゃないと思うんだけどなぁ」 ヤマト「そりゃそうだけど、お金はあったほうがいいだろ」 ユーリャ「ヤマトはいまの生活に不満なの?」 ヤマト「ふ、不満はないさ。でも貧乏は嫌だ」 ユーリャ「わたしは貧乏でも平気だよ。だってヤマトと一緒に居られるんだよ」 ヤマト「その言い方だとオレが金持ちになったら一緒に居られないみたいだな」 ユーリャ「そうじゃないよ〜。貧乏でもヤマトと一緒なら幸せってことだよ」 ヤマト「とにかく、この研究はオレ一人でやる」 ユーリャ「ヤマトの意地っ張り〜」 ………… それからオレは自分の発見を秘密にしたまま、効率化の実験を進めていた。 研究室にこもることが多くなり、家に帰るのも惜しくなったオレは、二日に一度、三日に一度と、家に換える頻度が減っていった。 たまに帰ると、ユーリャの寂しそうな顔を見ることになるので、論文が発表できる段階まで家に帰らないと書き置きし、一ヶ月ほど研究室に寝泊まりした。 そうして完成した論文は、つたない内容ではあるが、大量の実験結果が大いに評価され、是非共同開発したいという企業からオレは厚遇で迎え入れられた。 ………… ヤマト「ただいまユーリャ」 ユーリャ「おかえリヤマト。ニュース見たよ。おめでとう」 ヤマト「ありがとう。ユーリャのおかげだよ。これからはもう苦労をかけずにすむから」 ユーリャ「わたしは別に苦労してないよ。パン屋さんの仕事は楽しいんだよ」 ヤマト「そ、そうか。それでまたしばらくは忙しいんだ。これからまたすぐにでかけなくちゃならないんだ」 ユーリャ「もう行っちやうの?」 ヤマト「わるい」 ユーリャ「ヤマトに相談したいことがあったんだけどなぁ」 ヤマト「ごめん。帰ったら聞くから!」 結局その日、家に帰ることは無かった。後日相談に乗ろうとしても、別にいいとご立腹したようで、それ以上尋ねられる雰囲気じゃないのでそのままにしておいた。 やがて新しい研究に没頭し始めたオレは、その相談の事も頭から抜け落ちていた。 ………… 相談の件が有耶無耶になったまま1ヶ月が経過した。 その頃には従来の重力制御装置に、オレが発見した粒子を安定供給できるブースト回路が完成し、その接続テストの準備が迫っていた。 【てん】 ヤマト「ただいま」 ユーリャ「おかえりなさい」 オレが忙しいせいなのか、最近ユーリャは元気が無い。 最近は毎日ちゃんと家に帰っているというに何が不満なんだろう。 ヤマト「明日はついに大規模実験だ。この実験が成功すればもうオレたちの未来は安泰だぜ」 ユーリャ「安泰ってどういうこと?」 ヤマト「ん?この技術を利用すれば恒星間航行が可能な宇宙船だって作れるんだ。造船会社からのライセンス料だけでも億万長者だ」 ユーリャ「よかったね」 ヤマト「他人事みたいに言うなよ。なんか勘違いしてそうだからもう言っちまうけど」 ユーリャ「なによ」 ヤマト「結婚してくれ!」 ユーリャ「え?」 ヤマト「いや、結婚してください」 ユーリャ「あの……」 反応が鈍いぞ。このままではまずい。これはもう日本男児の最終奥義“土下座”しかない。 ヤマト「お願いします。この通りです」 オレは床に額を擦りつけながら結婚を追った。 まだか。まだ足りないのか。 ヤマト「仕方ない。こうなったら土下座ブリッジで!」 ユーリャ「ちょ、ちょっと待って。ストップ。もういいから。するから。結婚するから気持ち悪い事するのやめてよ〜」 ヤマト「本当か!」 オレは慌てて立ち上がり、買ってきた指輪を渡そうとした。 したのだが……。 ユーリャ「どうしたのヤマト?」 ヤマト「無い!」 ユーリャ「何が?」 ヤマト「指輪が無い〜〜〜っ! どこかで落としたらしい。マジかよ。給料3ヶ月分がぁ〜〜!」 そんなオレを、ユーリャがジトロで蔑んでいる。 ユーリャ「婚約指輪も無い。泣き落としてのプロポーズなんて聞いたこと無いよ」 ヤマト「す、すまん」 やばいぞ。怒らせちまった。 ユーリャ「うん。許してあげる。なんかほっとした」 ヤマト「どういうことだ」 ユーリャ「最近のヤマト。わたしとはなんか違う世界に居る人みたいだったから……」 ユーリャ「ヤマトって追いかけても追いかけてもずっと先を行くから置いてかれそうで少し怖かったんだ」 ユーリャのやつ、そんなことを考えていたのか。 ヤマト「寂しい思いをさせちまったな。オレはただユーリャに相応しい男になろうと頑張ってただけなんだ」 ユーリャ「そんなのっ! わたしに誰が相応しいかなんて、わたしが決めるからい〜の」 ヤマト「そ、そりゃそうだな。それでオレは相応しいのか。さっきのはちょっと余りにも酷過ぎたからもう一度尋ねるけど……」 ユーリャ「いいよ。結婚しよう!」 ヤマト「おい。ちゃんとプロポーズさせろよ。その上で返事してくれよ」 ユーリャ「やだよ〜だ。ヤマトは一生あの変なプロポーズでわたしと結婚したんだって孫の代まで伝えるの。だからやり直しは認めないよ〜だ」 ヤマト「くそっ、まあいい。でも本当にオレでいいのか?」 ユーリャ「いいよ。嫌だったら月まで家出なんかしないよ。それくらいもわからないほどヤマHま鈍いの?」 ヤマト「そ、そうだな。もしかしたらそうかなーとは思ってはいたけど、それは自意識過剰なんじゃないかとかまあ色々……」 ユーリャ「ヘタレ」 ヤマト「どこで覚えてそんな言葉!」 ユーリャ「えヘヘ」 ヤマト「笑ってごまかすなよ」 オレたちは久しぶりに笑顔で夕食を頂き、夜更けまで語り合った。 【てん】 ヤマト「そういえば相談があるって前に言ってたよな」 ユーリャ「相談?」 ヤマト「1ヶ月くらい前になんか今にも死にそうな顔して言ってたじゃないか」 ユーリャ「なによそれ。わたし死にそうな顔なんてしてないよ〜」 ヤマト「してたよ。捨てられた子猫みたいで見てられなかったぞ」 ユーリャ「そう思ったんならちゃんとケアしなさいよね。あの頃はちよっとナーバスになってたんだから」 ヤマト「それで相談ってなんだ?」 ユーリャ「ん〜もういいの。解決したから」 晴れ晴れとしたユーリャの顔に嘘偽りは無さそうだった。恐らく解決したというのは本当だろう。 ひょっとしてユーリャも結婚のことを考えてたのかな。そうだとしたら辻接があう。 ヤマト「分かった。もう聞かない。他には何か無いか?」 ユーリャ「どういうこと?」 ヤマト「いや、実は生活費が足りないとか、困ってることとか」 ユーリャ「ないよ。いや、ある!」 ヤマト「なんだ?」 ユーリャ「わたし、土下座プロポーズして、婚約指輪を落としてしまうようなお間抜けな人と結婚します」 ヤマト「なんかそれも一生言われそうだな」 ユーリャ「もちろん言うよ〜。喧嘩したにこの事を話せば一発でヤマトを黙らせられると思うの」 ヤマト「なにげに酷いな」 ユーリャ「そう思うならちゃんと探してきて」 ヤマト「また買うよ。落としたとしたらどうせ盗まれてるだろうし」 ユーリャ「ちゃんと探してからだよ。研究室の中とかロッカーとか机とか全部探して無かったら、その時はお値段3倍で手を打っわ」 ヤマト「ひどい嫁だな」 ユーリャ「お金持ちになるんでしょ?」 ニヤニヤとユーリャが笑っている。 確かに金持ちにはなるだろうがそれはまだ先のことだ。恐らくユーリャもそのことは分かって言ってるのだろう。 ヤマト「わかったよ。3倍でも10倍でも好きなの買ってやるよ」 ユーリャ「冗談だよ。ヤマトが選んで買ってくれたものなら、月の石だってわたしは構わないよ」 ヤマト「そういうこと言うなよ」 ユーリャは無欲だ。少なくとも物欲というものがあまり無い。それゆえ純粋でかわいい。 つまり容姿も、心も綺麗過ぎて、オレにはまぶしすぎる。 ユーリャ「ど〜して?」 ヤマト「これ以上、オレを惚れされるなって言ってるんだよ!」 言ってしまって後悔する。なんだこれは。とても恥ずかしいぞ。 ユーリャ「う、うんわかった。ヤマト、かお真っ赤だよ」 ヤマト「ユーリャも赤いぞ」 ユーリャ「そ、そう?」 ヤマト「あ、明日は大事に実験だ。そろそろ寝るか」 ユーリャ「そうだね。ねえヤマト」 ヤマト「なんだ?」 ユーリャ「明日、わたしも見学に行っていいかな」 ヤマト「どういう風の吹きまわしだ?」 ユーリャはオレが研究の話をしてもうわの空で聞いてることが多く、興味は殆どないはずだ。それがどうして? ユーリャ「明日はちょうど仕事お休みだし、一度くらいヤマトがやってる仕事を見ておきたいから。その、妻になるんだから」 なるほど。そういうことか。かわいいじゃないか。 ヤマト「わかった。一緒に行こう」 ユーリャ「うん」 【てん】 実験当日。 オレは実験施設にユーリャを連れてきた。本来なら関係者以外立ち入り禁止で、マスコミもシャットアウトしてある。 そんな厳戒態勢の中、プロジェクトのキーマンという立場を利用し、ユーリャを無理矢理入らせて貰った。 【てん】 ユーリャ「わたし本当に入ってよかったの?」 ヤマト「いいって、どうせユーリャはここで見たことの原理とか理解できないだろ?」 ユーリャ「確かにそうだけど〜。その言い方はちょっとひどくない?」 ヤマト「わるい。傷付いたのか?」 ユーリャ「別に〜。気分を害しただけだよ」 ちょっとした冗談のつもりだったのだが、ユーリャはご立腹だ。 ヤマト「だからごめんって。許してくれよ」 ユーリャ「新しく開発したパンを試食してくれたら許してあげる」 ヤマト「ひょっとしてそのパンというのは……」 ユーリャ「そうよ。わたしが考えて作ったんだよ〜。なにもヤマトだけが発明家じゃないんだから!」 パンの新商品と重力制御を同列に考えられても困るのだが、それを言うとまたスネるので、黙っておく。 ヤマト「そ、そうだな。それにしても凄いな。売り子だけやってるのかと思ったら、そういうこともやってたんだな」 ユーリャ「この話、ヤマトにしたよ。でもちゃんと聞いてくれないし〜」 ヤマト「そ、そうか。重ねてすまん。その試作品とやら、喜んで食べさせて貰うよ」 ユーリャ「うん。と〜〜ってもおいし〜んだから。腰を抜かさないようにね」 ヤマト「普通はほっぺが落ちるとかそういう表現じゃないのか? まあ楽しみにしてるよ」 【てん】 それからオレはユーリャをオペレータ室に案内し、隅の方に椅子を持ってきて、そこに腰掛けさせた。 男ばかりの職場なので、ユーリャの存在は異質だった。 唯―の女性職員にユーリャの相手をして貰っているが、他の職員もチラチラとユーリャを盗み見している。 普通の容姿の女の子でさえ、ラボではモテモテだっていうのに、ユーリャみたいな美人が来たら浮かれるもの仕方ない。 というか連れてきたのは失敗だったかもしれない。 オレは職員が注意力散漫になってオペレートミスを起こさないか、真剣に心配した。 【てん】 実験の準備が始まって約2時間が経過した。何度も実行手順を確認し、起動寸前までテストを繰り返し、いよいよ本番となった。 一応皆エンジニアなので、作業が始まると自分の行うことは理解しているようで、ユーリャに色目を使うような余裕は無くなった。 当のユーリャは流石に少し飽きてきたのか、欠伸を堪えようと、変な顔になっている。 これでは折角の美人が台無しだ。 やがて、職員の一人が、最終チエックが完了したことを告げる。 時刻は月標準時間で14時50分だったので、15時ジャストに実験を開始することにした。 【てん】 オペレータがカウントダウンを始める。 ユーリャ「ところでこの実験ってなにをするの?」 作業を終え、暇になったオレにユーリャがひそひそ声でそう尋ねる。 ヤマト「そんなことを知らないで実験に参加したのか。昨日説明しただろ」 ユーリャ「だって〜プロポーズのことがあったから他のことはなんか、忘れちゃった」 ヤマト「仕方ないな。重力制御装置に重力加速回路を取り付けて加速させ、重力、つまり質量を増大させて人口ブラックホールを作ってるんだよ」 ユーリャ「ブ、ブラックホールって、あのなんでも吸い込んじゃうアレ?」 ヤマト「そうだよ。もっともいま作ろうとしてるのはそんな大層なやつじゃなくて、出現しても一瞬で消えちまうよ。自分の質量に耐え切れずに消滅するんだ」 ユーリャ「さっぱりわからない」 ヤマト「だろうな。とりあえず望みどおりのデータが取れれば実験は成功だ」 ユーリャ「思ってたのより地味なのね」 ヤマト「うるさい」 そんな雑談を交わしている間にも、カウントダウンは終わろうとしている。 ユーリャ「もうすぐみたいよ」 ヤマト「そうだな。今度はネオ・スプートニク27号打ち上げの時みたいに見逃さないぞ」 ユーリャ「あはは。そういうこともあったね〜」 ヤマト「はじまるぞ」 オペレータのカウントダウンが終了し、実験が開始された。 最初に重力制御装置が稼動を始める。その余波は重低音のスピーカーのように、突き刺さるような振動を伝えてくる。 重力制御装置が安定すると、今度は実験のメインである重力加速回路の接続運転に入る。 これを接続することにより、より強力な重力を作り出す。 重力制御装置内にある触媒を圧縮し、ブラックホールと同等の質量を発生させ、それを観測するのが目的だ。 いわゆる特異点といわれるものを観測できたなら、実験は成功である。 重力加速回路には特異点が発生できる理論値まで、例の触媒(いわゆる燃料)を積んでいる。 そのため特異点が観測できたら、次の瞬間にはもうブラックホールは蒸発してしまうだろう。 実験用の重力制御装置はその影響で壊れてしまうだろうが、特異点観測が成功したなら、その損失は充分に意味のあるものになる。 オペレーター「重力加速回路接続します」 ヤマト「お願いします」 オペレーターが重力制御装置に重力加速回路を接続し、回路を稼動させる。 すると再び重力制御装置が活性化し、下腹に突き刺さる重低音が実験室に鳴り響いた。 モスキート音のような耳障りな音と共に、身体がふわふわするような感覚に襲われる。 それは重力制御装置が発生させる重力が増大していることを意味する。 この月の低重力だと、装置のある方へと引き寄せられているように感じるのだろう。 いい調子だ。重力加速回路に搭載した触媒の消費率は90%。あと少しで、実験は終わる。 実験施設とこのオペレータ室との距離は10メートル以上離れているが、それでも装置から発生する重力波の影響は身の危険を感じるくらいだ。 消費率98%。あと1分足らずで実験は終わる。 そう思った矢先、オペレータから特異点観測の声が聞こえた。 どういうことだ? 残り2%あるのに特異点が観測されただと? ヤマト「やばい。実験は中止だ。加速器回路を切断して下さい!」 だが、オペレータから返ってきたのはこちらからの制御を受け付けないという、安いドラマのような返答だった。 ヤマト「直接装置を止めてきます」 ユーリャ「どこへ行くの?」 ヤマト「ちょっとトラブル。心配ない。ユーリャはここで待っててくれ」 オレはそういうと、オペレータ室を飛び出した。 ユーリャ「ヤマト待ってよ!」 背後から、ユーリャが声をかけるが、聞いている時間は無い。 このまま放って置けば、この実験施設に大穴が開いて、真空の月面に放り出される可能性も否定できない。 【てん】 重力加速回路に測定器を直結し、データを読み出す。 すると触媒の搭載量が設置値の10倍近くあった。 人為的な事故だと直感で分かったが、いまはそんなことを気にしている時ではない。 直接コンソールパネルから装置の停止を行ってみたが、予想通り言うことをきかない。 オペレータ室からでも受け付けなかったのだから当然かもしれない。 となればいくつか設けたセーフティ回路は働かないと思って間違いないだろう。 あと残された手段は主電源を切るしかない。 だが困ったことに、重力波の影響がすごく、電源回路の側まで行きたくても行けないということだ。 ユーリャ「ヤマト!」 ヤマト「ユ、ユーリャ! 来るなって言っただろ!」 なんで来てんだ。このバカ。 ユーリャ「あぶないんでしょ? 逃げようよ」 ヤマト「分かってるなら逃げろよ!」 ユーリャ「ひとりで逃げるのはいや」 こうなると梃子でも動きそうも無い。 ヤマト「わかった。でも気が散るからオペレータ室に戻っててくれ」 ユーリャ「ヤマトはどうするの?」 ヤマト「電源落としたらすぐに行く」 ユーリャ「電源って?」 ヤマト「あの赤いボタン。分かりやすいだろ」 ユーリャ「そうだね。わたしでもできそう」 ヤマト「お、おい!」 オレが止める間もなく、ユーリャはオレを飛び越えて、電源まで駆けていった。 ユーリャ「うぐぐ〜身体が重たぁ〜い」 ヤマト「当たり前だ。戻って来い!」 ユーリャ「なんかね、無理っぽい。それより先に進んだ方がよさそう」 ヤマト「おいバカやめろ」 ユーリャ「電源落とせば元に戻るんでしょ?」 ヤマト「そんな保障はどこにもない!」 ユーリャ「そうなの?」 ヤマト「そうだよ」 ユーリャ「でも押さないともっとまずいんだよね」 ヤマト「そうだな」 ユーリャ「じゃあ押す」 ヤマト「やめっ!」 オレが止める間もなく、ユーリャは限界まで腕を伸ばして電源スイッチを切った。 【てん】 事故から半年が経った。 事故の原因はオレの成功を妬んだ研究者の仕業だったらしいが、そんなことはどうでも良かった。 その後オレは実験を成功させ、その権利の全てを協賛企業に譲渡した。 その代わりにオレは個人の研究施設とプロジェクトチームを無期限で編成してもらえる契約を結んだ。 そのプロジェクトチームの目的は、ユーリャのサルベージ。 実験によって出現したマイクロブラックホールからの救出だ。 ユーリャはそのブラックホールが持つ、僅か半径2メートルのイベントホライズン(事象の地平線)に捕らわれてしまった。 ほんの少し別の場所に居たオレは運良く助かった。 言い換えればユーリャが犠牲になったことで、ユーリャの質量を取り込むことで、ブラックホールの質量エネルギーは減退し、安定した。 ユーリャはいま、オレたちとは別の時間に生きている。 彼女はまだ自分がブラックホールに落ちているなんて自覚すらしていないだろう。 それでも時がくれば彼女の身体は圧縮され、ミンチのような潰れてしまう。 そうならないため、オレはユーリャを救出するサルベージチームを発足させた。 【てん】 事故から5年が過ぎた。 オレサルベージは難航している。なにせ一発勝負だ。理論上大丈夫では意味が無いのだ。 オレはユーリャと同じ環境を作り出し、人形をユーリャに見立てた救出実験をこれまでに2度行ってきた。 結果はいうまでも無く失敗で、1度目はブラックホールを消失させた途端、人形も同じように消失してまった。 2度目は対抗する重力をぶつけてブラックホールの引力を中和するというものだ。 多少の期待を込めた実験だったが、タイミングがまるで合わず、重力バランスが少し崩壊した段階で人形は半分に引き裂かれた。 それでも、多少なりの手ごたえは感じた。 【てん】 事故から10年が過ぎた。 救出実験は過去から累積して12回行われた。 どれも人間を1人救出するには大雑把すぎた。 ただの鉄の塊程度であれば、98%の状態でサルベージ可能だ。 残りの2%はどうしてもブラックホールに吸収されてしまう。 人間にとって2%の損失がどれほど生命活動に影響を与えるのか分からない以上、救出を急ぐわけにはいかなかった。 オレがユーリャを救出するために行ってきた実験データは、そのまま恒星間航行用宇宙船のエンジン技術に転用されていた。 あと10年も経ったら、この月から別の恒星へ向けて出発する宇宙船が完成するだろう。 ユーリャのサルベージとどちらが先になるだろうか。 【てん】 事故から25年が過ぎた。 四半世紀。ついに事故を起こした時の年齢を追い越してしまった。 ユーリャはまだ若いままであるが、オレはもう白髪まじりの初老のじじいだ。 ユーリャの両親は5年前に義父が亡くなり、昨年には義母も他界した。 これでオレまで死んでしまったら、ユーリャを仮に救出できたとしても、彼女は結局ひとりぼっちだ。 実験で得たデータは、ほぼ無償で企業に提供してきた。 それにも関わらず、オレは巨万の富を得ていた。 実験施設も私財でほぼ賄なわれている。 こんな立場になってユーリャの言葉を反芻すると耳が痛い。 ユーリャ「わたしは貧乏でも平気だよ。だってヤマトと一緒に居られるんだよ」 オレはひとりで金持ちになってしまった。本当にバカだ。 【てん】 事故から48年が過ぎた。 約半世紀だ。そうしてついにユーリャのサルベージ計画が実行される。 これ以上は何度実験しても精度が上がらないと判断したからだ。 救出実験回数293回、近年においては1ヵ月に1回のペースで実験は行われていた。 サルベージの精度は、99.999998%まで上がっている。 欲を言えば99.999999%まで上げたかったが、この残り0.0000001%まで精度を上げるには、後20年はかかると試算されていた。 やり方は2回目に行った方法からそう変ってはいない。 現在ユーリャが取り込まれているブラックホールの重力に逆方向からの重力をアプローチし、中和したところで救助する。 実にシンプル極まりない。 救出を急いだのは精度の問題だけでなく、建物の老朽化もあったからだ。 それにオレも老いた。 オレはユーリャの囚われた施設をいつものように日参し、サルベージを決行しに向かった。 【てん】 オペレータたちは、何人か入れ替わりはあるものの、この50年余を一緒に過してきた者も少なくない。 操作ミスや、悪質な妨害工作は無いと言っていいだろう。 いまもしそういうことを行っても何もそいつにはメリットは無い。 もしそのような輩がいたら、素っ裸にひん剥いて人工ブラックホールにぶち込んで燃料にしてやると常日頃から公言している。 オレはもう50年前の若造ではないのだ。 オペレータ「オペレーションテストオールグリーン。ミセスユーリャサルベージミッションスタンバイ」 5回のリハーサルを経て、ようやく本番を迎えた。 絶対に失敗が許されない1度限りの救出劇。実験では何度も成功した。 動物実験でも問題なかった。だから大丈夫だ。 そう自分に言い聞かせるが、事故を起こしたのが昨日の事のように思い出させ、始まるの一言がなかなか口に出せない。 オペレータ「ヤマト局長」 ヤマト「なんだね?」 オペレータ「あの、奥様を早く救出して差し上げましょう」 親子ほど歳の離れたオペレータが、緊張した面持ちでそう告げる。 ヤマト「そうだな」 オレは咳払いをして、プロジェクトメンバーに向き直った。 ヤマト「諸君。今日まで私の道楽、我侭に付き合ってくれてありがとう」 ヤマト「成功することを疑っては無いが、やり直しはできない。数時間後にはこのチームは解散する。いままでご苦労だった」 ヤマト「ユーリャの救出を開始する」 そうしてユーリャのサルベージが始まった。 【てん】 古い実験施設に最新鋭の装置が結合されたそれは、異様な光景ともいえた。 ユーリャを中心としたイベントホライズンの周囲には8機のサルベージ用重力制御マシンが並んでいる。 これを最新鋭の量子コンピュータで計算させたタイミングで稼動させ、重力の位相を反転させ、時間すら巻き戻す。 そうして事故直後まで巻き戻ったユーリャを無人の医療ポッドが救出する。 いままで200回以上行ってきた実験と同じ手順を踏むだけだ。 そうしてこの救出劇にかかる時間は僅か5分。 準備と後始末を除いたら、大抵の実験なんて実働時間は短いものだ。 オレの目の前で、機械たちが忠実に命令を遂行している。 オペレータ「重力中和完了。医療ポッドによるミセスユーリャの回収完了」 ここまでは手順通り。問題はこれからだ。 オペレータ「医療ポッドからの情報を報告します。ミセスユーリャの心拍数、脈拍、血圧値ともに平均値。体細胞のDNA欠損率正常範囲内です」 ヤマト「そうか。ありがとう」 オペレータの報告により、プロジェクトチームメンバーから歓声が上がる。 こんなにも緊張した5分間を経験したのは初めてかもしれない。 オレはチームの一人一人と握手を交わし、そのまま管制室を後にした。 歳を取るとどうも涙もろくなるものだな。 【てん】 数時間後、オレはユーリャの目覚めを病室で待っていた。 アンチエイジング技術で肌のシワを取ったり髪を黒く染めたりしたが、当時の若さを取り戻すことは遠く及ばない。 これはユーリャにショックを与えたくないためにやってることで、いずれ事情は話すつもりだ。 オレは白衣のポケットに手を入れて、そこに四角いケースがあることを何度も確認した。 やがてユーリャが目を覚ます。 本当はメディカルチェックなど、やることが目白押しなのだが、オレの権限で1時間だけ2人きりにしてもらった。 ユーリャ「ここは……あれ? わたし確かボタンを押して、それから」 ヤマト「記憶の混乱はないかい?」 ユーリャ「えっと、貴方は……。ええっ! ひょっとしてヤマトなの?」 早いな。もう気付いたのか。 ヤマト「そうだよユーリャ。君を救出するのに50年近くかかってしまった」 ユーリャ「ご、50年?」 ヤマト「説明させて貰っていいかな?」 ユーリャ「ど、どうぞ」 オレはこれまでの経緯をかいつまんでユーリャに話した。 ユーリャ「なるほど。理解しました!」 ヤマト「すまない。本当に申し訳ない」 ユーリャ「ど〜して謝るのよ。助けてくれたんでしょう? こっちがお礼を言わなきゃ」 ヤマト「今後の身の振り方だが、折角助かったんだ。生まれ変わったと思って好きにしてもらっていい。生活費や慰謝料などどれだけ請求してもらっても構わない」 ユーリャ「ねえヤマト。それ本気で言ってるの?」 ヤマト「そうだが」 ユーリャ「違うでしょう。わたしはさ。確かについさっきまで実験してて、なんか事故に巻き込まれた〜って記憶しかないのよ?」 ヤマト「そうだな」 ユーリャ「でもヤマトは違うでしょ。ヤマトは50年待ったんでしょう。わたしを助けるために50年犠牲にしちゃったんでしょう!」 ヤマト「犠牲とは思っていない」 ユーリャ「それなれそれでいいわ。とにかく、50年ぶりに恋人に再会というか触れ合えることができたのよ。ハグとかチューとかしなくていいの?」 ヤマト「いやでも、私は見ての通りもう初老の爺さんで……」 ユーリャ「関係ないよ。それともなに? 50年の間に浮気しちゃったの? そのドアに向こうには新しい妻がいて、子供がいて孫までいちゃったりするの?」 ヤマト「いないよ。ずっと独身だ。当たり前だろう」 ユーリャ「だったら遠慮しないでよ」 ヤマト「いいのか?」 ユーリャ「もちろんだよ」 ヤマト「そうか。ならこれを受け取ってくれないか」 オレはポケットに収めていた古びたケースを取りだし、ユーリャに渡した。 ユーリャ「これは?」 ヤマト「婚約指輪だよ。ユーリャの言う通り探したらあったよ。50年前のものだから、すこし変色してるが、あたらしく買うのもどうかと思ってな」 ユーリャ「嬉しい! はめてみてもいい?」 ヤマト「構わんよ」 ユーリャは子供のようにはしゃいで、指輪を薬指にはめた。 ユーリャ「うふふどう? 似合う?」 ヤマト「とても似合っているよ」 ユーリャ「もうヤマト。言い方がおじいちゃんみたい」 ヤマト「実際にお爺ちゃんだから仕方ない」 ユーリャ「そんなんじゃいいパパになれないよ」 ヤマト「おいおい、流石にもうこの歳では無理だよ」 ユーリャ「えっ?」 ヤマト「いや、子作りの話しじゃないのかな?」 ユーリャ「違うよ。おなかの赤ちゃんのことだよ」 ヤマト「おなかの赤ちゃん?」 ユーリャ「えへへ。前に相談したいことがあるっていったじゃな〜い」 ヤマト「それってパンの試食じゃなかったのか?」 ユーリャ「違うよ。子供が出来ちゃって相談しようと思ってたんだけど、ヤマトがプロポーズしてくれたでしょう」 ヤマト「そうだね」 ユーリャ「そうしたらもう不安はなくなったから、相談するよりサプライズにしようって思ったの。実験が終わったら言うつもりだったんだけど」 ヤマト「そうか」 オレはパパになるのか。そうなのか。 ユーリャ「どうしたのヤマト。泣いてるの?」 ヤマト「歳を取るとな。涙腺が緩くなって仕方ないんだ」 ユーリャ「泣かないでよヤマト」 ヤマト「どうしてユーリャも泣いてるんだ?」 ユーリャ「わかんない。わかんないけど悲しくて嬉しくて、色んな感情がごっちゃになってるんだよ」 ヤマト「そうか。沢山泣くといい」 ユーリャ「ねえヤマト」 ヤマト「なんだい」 ユーリャ「まだ歯は丈夫?」 ヤマト「そうだな。ユーリャのパンを試食できるくらいには丈夫だと思うよ」 ユーリャ「でもパン屋さん潰れてないかな?」 ヤマト「店ごとプレゼントしてあげるよ。明日からでも店長やれるさ」 ユーリャ「ほんとに? どうしてそんなことできるの?」 ヤマト「50年で大富豪になったからね。ユーリャの居ない50年の代償としては少なすぎる報酬だよ」 ユーリャ「だから言ったじゃない」 ヤマト「ああ。身に染みてる。改めて言わせて欲しいことがあるのだが、いいかな?」 ユーリャ「本当はダメだけど、ヤマトの頑張りに免じて言っていいよ」 ヤマト「私と結婚してくれないか?」 ユーリャ「はい。よろこんで」 <おわり>