目が回る。  世界が回転する。  ――これは、やばい。  そう思った時には遅く。  ドン、という鈍い音の後に……俺の意識は遠のいていった。 【??】「……きて………て」   【主人公】「んっ……ぅ……」  暗闇の中で、声。  回数を重ねる度その声は次第に聞き取れるようになっていく。 【??】「……き……て」 【??】「……き……てよ」 【??】「……きてよ!」 【少女】「――起きてってば!!」アウター怒り 【主人公】「っく……」 【主人公】「ぐっ、ッぅぁあ……!!」 【少女】「え!? ひゃぁ!?」アウターびっくり  ガタン、と目の前の少女が勢いよく尻もちをつく。 【少女】「っもう……! 起きてって言ってもいきなり過ぎでしょ!」アウター涙目  お尻を抑えたまま「あいてて……」と小さく呟くアウター姿の少女。 【主人公】「……ぅぁ、はぁ」 【主人公】「ここ、は……?」 【主人公】「ッ――ぃった……!?」  覚醒してすぐ、後頭部に激しい痛み。  恐る恐る痛む箇所を撫でてみると、血こそ出てはいないものの大きな瘤になっていた。  どこかでしたたかに打ちつけたのだろうか?  いや――今はそんなことより。 【主人公】「ここ、は、どこだ……?」 【主人公】「それにきみは……だれ?」 【少女】「は?」アウターびっくり 【少女】「な、なに言ってんのよ。ギャグのつもり?」アウタージト 【主人公】「いや、だって……」  考えようとしても、頭がずきずきと痛むばかりで何も分からない。  彼女が誰なのか――自分が誰で、ここがどこかのかも――。  思考にまるで靄がかかったかのように、何も思い出せなかった。 【主人公】「ホントに……分からないんだ」 【少女】「……」アウター通常 【少女】「ほんとなの?」アウター通常 【少女】「ほんとに私のこと……分からない?」アウター通常  怪訝そうな表情を浮かべ、少女がこちらを見やる。   【主人公】「ッ、ぅ――……!!」  ――瞬間、再び激痛が頭部に広がる。  分かっている、彼女のことをきっと分かっているはずなのに思い出せない。  そんな違和感が、自身を中心に渦巻いているのが分かった。 【少女】「……」アウター通常 【少女】「……まぁ、冗談にしても少しは乗ってあげないとか」アウター通常 【由紀】「私の名前は、由紀(ゆき)」アウター通常 【由紀】「あんた――冬人(ふゆと)とは昔からの付き合いよ」アウター怒り 【冬人】「……冬人と、由紀……か」  そう言われれば、自分の名前はそうだったかもしれない。  少女――由紀もよくよく見ればその容姿と名前がしっくりくる。 【冬人】「昔からの付き合いって……俺ときみの関係は?」 【由紀】「……はぁ」アウタージト 【由紀】「冗談にしても『きみ』なんて言うのやめてよ。私には由紀って名前があるんだから」アウター通常 【冬人】「じゃあ、由紀ちゃん」 【由紀】「うわぁー……なんか気持ち悪い」アウタージト 【由紀】「由紀でいいってば。ずっとそうなんだからさ」アウター通常  うーん。  なんとなく最初から感じてはいたものの、色々と面倒な子みたいだな。 【冬人】「それで、俺と由紀の関係は?」 【由紀】「んー……私と冬人の関係っていうと」アウター通常 【由紀】「……」アウター目そらし 【由紀】「……と」アウター目そらし 【冬人】「は?」 【由紀】「だからぁ……!!」アウター怒り 【由紀】「……と」アウター目そらし 【冬人】「……分からん」  「と」しか聞こえないって。 【由紀】「あーもー! とにかく!! ……こんな日にお芝居やめてよ、もう!」アウター怒り 【由紀】「せっかく……傷心の冬人が喜ぶと思って来たのに」アウターてれ 【冬人】「いや、お芝居じゃないって……」  本当に、何も思い出せないんだからしょうがない。 【由紀】「ふぅん……そう。飽くまで続けるつもりなんだ」アウタージト 【由紀】「年下の女の子にそんないやがらせして、人として恥ずかしくないの?」アウタージト 【冬人】「……もうね」  いや、本当に――何も思い出せないんだ。   【冬人】「……」  俺は、なんとなく自分に関する手掛かりがないか周囲を見渡す。  アパートの一室だろうか? 手狭な部屋にあるのは……暖房器具、本棚、PC、テレビ、布団、ぐらいのものか。  それ以外の家具はほとんどなく、部屋の様子から住んでいたであろう人物――俺の性格を想像するのはほぼ不可能と言ってよかった。 【冬人】(しかし、暑いな)  狭い部屋には大きめの暖房のせいか、俺は薄手の格好にも関わらずかなりの暑さを感じていた。  由紀は気にならないのだろうか? 【由紀】「ちょっと……聞いてるの?」アウタージト 【冬人】「あっ、ああ」 【由紀】「まぁ、冬人が私をいじめるのにご執心なのは良いけどさ」アウター目そらし 【由紀】「……クリスマスなんだから、ちょっとくらい優しくしてくれたって良いじゃん」アウター目そらし 【由紀】「そういうことされると、せっかく準備してきたのに……なんにもしてあげたくなくなるよ」アウターてれ  まいったな。  信用してもらえないこともそうだが、こんな子に意地悪しているかのように勘違いされるのは心が痛む。 【冬人】「ったく……」  仕方が、ない……か。  本来は自分の記憶をどうにかするのが先決なのだろうけど。  とりあえずは、記憶喪失を冗談として片づけ……由紀に話を合わせることにしよう。  それに、その途中で自分がどういう人間か。由紀がどういう人物なのかも分かっていくだろう。 【冬人】「ごめん、ごめん。全部冗談だって、由紀」 【由紀】「ぇ……?」アウター通常 【由紀】「っもう! ……いつも急にこれだもん」アウター目そらし 【由紀】「冬人のばーか」アウターべー 【由紀】「えへへ……」アウター笑顔  拗ねていたのが、嘘のように笑顔になる。  ころころ表情が変わるせいかなかなかに退屈しない。  話した時間は短いけれど、なんとなくそれだけでも由紀の人となりが分かったような気がした。 【由紀】「んじゃ、さ。料理作ってあげるよ。実は今日そのために来たんだし」 【冬人】「あっ、ああ。そうだったな」 【由紀】「ん、台所借りるね」 【冬人】「自由に使ってくれ……と言いたいところだが、材料があったかな」  ここに至るまでほとんどの記憶がないものだから、材料の有無など分かるわけもない。  見たところ一人暮らしのようだし、何もないというのもあり得る話だ。 【由紀】「なに言ってんの、この前二人で買って来たじゃん」 【冬人】「そう、だったか……?」 【由紀】「じゃくねんせーけんぼーしょーってやつ? しっかりしてよ、もう」 【冬人】「悪い悪い」  由紀が軽快な足取りで、恐らく台所――であろう方へ向かう。 【冬人】「さて……」  由紀がその場にいなくなったので、少し考えてみる。 【冬人】(まず、自分のことだ)  再び周囲へ視線を向けると、先ほどと何ら変わりない風景。  部屋の狭さからここがアパートの一室だということは想像に難くない。 【冬人】(そこにいる俺の服は……寝巻か? 上下共に薄い素材の、随分としまりのない服装だ)  ついでに言うと、近くにあった鏡で確認したが容姿も特段言うところはない。  強いて言うなら中の下、その程度の平々凡々な容姿だ。  声で分かってはいたが、当然ながら性別も男だった。 【冬人】(パッと見は……大学生か、社会人程度か)  由紀が自分のことを年下――と言っていたことから、その辺りなのは間違いないだろう。  少しばかり子どもっぽいが、言動や顔立ちから彼女もまた高校生くらいなのは明白だったからだ。 【冬人】(そういうことが分かるってことは、一般的な知識に関しては問題ないみたいだな)  つまり、記憶の欠落が見られるのは――身の回りのことに関する知識。  今の総理大臣が誰だとか、書架に見える本の作者が誰だとかいうことは分かるようだ。   【冬人】(んで、どうしてこうなったんだ?)  転んで何かに頭をぶつけたのだろうか?  それとも、何かが上から落ちてきた?  いや――誰かに殴られた?   【冬人】(さっぱり分からんな……)  最後のはない……とは思うが、前後の記憶が全くないだけに断定は出来ない。 【冬人】(まぁそこは置いとくとしてだ) 【冬人】(最大の謎だが……由紀は俺にとって、どんな関係なんだ?)  一番あり得そうなのは恋人か?  クリスマスに訪ねてくるくらいだし、そんな関係なのかもしれない。 【冬人】(これは由紀が来たらそれとなく聞いてみるとしよう……) 【冬人】(よし) 【冬人】(ここまでの状況確認をすると……)  1、俺の名前は冬人(苗字は分からない)であること  2、俺はアパートの一室に一人で住んでいる大学生か社会人であること  3、由紀、という年下の友人らしき人物がいること  4、今日がクリスマスであるということ 【冬人】(現状分かるのはこのくらいか)  後は……探りを入れるような形で由紀に聞いていこう。  今日さえ乗り切れば、きっとなんとかなる。  健忘症、というのは一時的なものもあるらしいし。軽度のものならば治す手段なんていくらでもあるはずだ 【冬人】(せっかくのクリスマス、だしな)  記憶がないなんて一大事に随分と悠長な気がしないでもないが、あまり気にならないのは俺本来の性格ゆえか。  とにもかくにも、上手いこと話を合わせて乗り切ろう。 【由紀】「冬人ー出来たよー!」 【冬人】「あ、おう!」  由紀の言葉に急いで答えると、俺は由紀が向かったのと同じ場所に向かった。  ……  ………… 【冬人】「ふーっ……美味かった!」 【由紀】「ふふん、でしょ? ダテに料理研究会には入ってないわよ」 【由紀】「料理にはちょーっと自信あるのよね」  ――食後、俺たちは元居た部屋に戻るとそこで取りとめのない会話を続けていた。  残念ながら食事中の会話で俺と由紀の関係について知ることは出来なかったので、今度はここで何とかしたいところだ。   【冬人】「だなぁ、由紀の料理なら毎日食べたいくらいだ」 【由紀】「そうでしょそうでしょ……って」 【由紀】「なななな、何言ってるのよ!」 【冬人】「いやぁ、ほんとのことだよ」  ほんと、それくらいには美味しかったからな。 【由紀】「もう、調子良いことばっか言って」 【由紀】「傷心だからって私にそんなこと言っても意味ないでしょーに……この、ばか」 【冬人】「ははは……」  由紀は頬を紅潮させてこちらから目線をそらす。  そこで俺も視線を由紀から外すと。 【冬人】「ん……?」  ――不意に、部屋の隅にあるものが視界に入った。 【冬人】「あれは……」  本棚の隅の方で、倒れたようになっている……写真立て。  写真の方が下になっているので、ここからではどんな写真なのかは分からない。 【冬人】(なんだろう……)  すっと、本当に何気なく手を伸ばす。 【由紀】「冬人――」 【冬人】「!?」  びっくりした……。  声かけるにしても、いきなり過ぎるだろう。 【由紀】「……私、ちょっと台所に忘れ物したみたいだから。取ってくるね?」 【冬人】「あ、ああ」  そう言って、由紀は先ほどと同じように台所に向かう。 【冬人】「……」  なんだか、言いたいことがあるような表情だったが……。 【冬人】(ともあれ、これだ)  ただの写真立て――なのだろうが、無性に興味を引く。  俺は、倒れたそれを軽く持ち上げた。 【冬人】「これは?」  写真に写っていたのは……俺と、歳若い女性の姿だった。  秋口に撮ったものだろうか? 仲良さげに、手をつなぎながら二人で身を寄せ合い写っている。  印刷された日付は――数か月前だ。つい最近ではないか。 【冬人】「誰だ、これ?」  女性は俺よりも少しだけ若そうに見える。由紀には全然似ていないが、年は同じか少し上くらいだろう。  大学に入ったばかりとかその程度か。 【冬人】「ッ――!?」  ――女性のことを思い出そうとしたせいか、急にズキズキと頭が痛みだす。  誰なんだ? この女の人は。  何か、大事な人だった気がするのに……思い出せない。   【由紀】「冬人」 【冬人】「ゆ……き……?」  いつの間に戻ってきたのだろう。  台所へとつながる扉の辺りに立っていた由紀が、早足に歩み寄ると俺から写真立てを奪う。 【由紀】「……駄目だってば」 【冬人】「……それ……は」  ……一体、誰なんだ?  そう聞こうとしたのだが、痛みがぶり返して口を開くこともままならない。 【由紀】「……忘れないと」 【由紀】「この人のことは忘れないとって、約束したよね」 【冬人】「わす、れる……?」  意味が分からない。  どういう、ことなんだ?   【由紀】「と、とにかく……これは私が預かっておくね」 【由紀】「冬人にとっても、あんまり良いことじゃないと思うし……」  そう言うなり、写真立てをアウターのポケットにしまいこむ。 【冬人】「……」  記憶がない状態では、由紀が何を思って俺から写真を取り上げたのか。  忘れないと――という言葉の意味がなんなのかも分からない。  あまりにも判断材料が足りな過ぎる。 【由紀】「……」 【由紀】「わ、私……お腹減ったから外で何かお菓子とか買ってこようかなー」  なんだか一連の流れから居心地の悪い雰囲気が続いていたが、それを打ち破って由紀が言う。 【冬人】「今さっき食べたばかりじゃ……」 【由紀】「お、女の子にとってお菓子とご飯は別腹だもん」  そうなのか?  まぁ確かにお腹一杯でも甘いものは不思議と食べられたりするが。 【冬人】「じゃあ俺も……」 【由紀】「や、や! 冬人は良いよ。暖かいここで待っててよ」 【由紀】「私この部屋ちょっと暑かったからさ、体を冷やす意味でも外出てくるよ」 【冬人】「こんな時間だし、危なくないか?」 【由紀】「へーきへーき」 【由紀】「んじゃ、ちょっと出てくるね!」 【冬人】「お、おい!」  軽く身支度をするなり、瞬く間に部屋から出ていく由紀。 【冬人】「はやっ……」  ……にしても、財布とか持ってったんだろうか?  文無しでコンビニに行っても何も買えないぞ。   【冬人】(まぁ、どう考えたってこの空気が気まずいから逃げただけなんだろうけど)  お菓子を買ってくるなんてただの方便だ。  もしかしたら本当に買ってくるかもしれないが、時間がこの空気を解決してくれることを願っての外出だろう。 【冬人】「さて、じゃあこの隙に自分のことでも調べてみるか」  ……  ………… 【冬人】「なるほど、な」  部屋の中を軽く探して、いくつか分かったことがある。  第一に、俺の名前は由紀の言うとおりに柏葉冬人だということ。  俺は近くの大学に通う学生で、このアパートに一人暮らしをしていること。  俺には、つい先日まで彼女がいた――ここ最近になって別れたということだ。   【冬人】(最後のは予想外だったが、ここまでは大体予想通りだな……) 【冬人】「しかし……探しても分からなかったが、由紀とあの女の人は誰なんだろうな」  先ほどと同じように、再び考えてみる。  彼女が誰で――由紀が――何者なのか。  いまだもって分からないが……。  集まった情報を元にすれば、かなり肉薄したところまでいけるはずだ。  さて、考えよう。 【冬人】(まず、写真の彼女)   【冬人】(彼女は――) 1、恋人だ。 2、妹だ。 3、姉だ。 【冬人】(――由紀は?) 1、恋人だ  2、妹だ。 3、幼馴染だ。 4、ストーカーだ。 【冬人】(よし――)  ようやく、分かった気がする。  こういうことなら、納得がいく。  絶対にこうだ――という確信はないけど、この推理で恐らく間違いはないだろう。 【冬人】(後は……由紀に聞くだけだ)  ……  …………   【由紀】「ただいまー」 【冬人】「ん、早かったな。おかえり」 【由紀】「あ、うん。冬人の言うとおり危ないって思ったからさ」  ガサッと小さな袋を掲げて見せる。  なんだ、普通に財布持ってたのか。 【冬人】「帰ってきて早々で悪いけど……由紀」 【由紀】「な、なによ……?」 【由紀】「あの写真のことなら……駄目だからね」 【冬人】「ああ、それはいいんだ」 【由紀】「え? あ、そうなの」 【冬人】「それよりも、言いたいことがある」 【冬人】「……俺、さっき目覚めた時に記憶がないって言ったよな?」 【由紀】「え、ええ」 【由紀】「でも、それって冗談でしょ? 本気ってのはにわかに信じがたいし」 【冬人】「本気――なんだ」 【由紀】「はぁ……?」 【冬人】「本当に、今の俺は記憶喪失みたいなんだ」 【由紀】「……って、そ、それなら本気で病院に行かないとまずいんじゃないの?」 【冬人】「ああ、分かってる。けどさ、それは後だよ」 【冬人】「どの道今から病院に行っても閉まってるだろうし、急いで治るもんでもないだろ」 【由紀】「でも、でも」 【冬人】「な? 正直体に関してはぴんぴんしてるしさ」 【由紀】「うー……でもなぁ」 【冬人】「まず、今はさ。俺の話を聞いて欲しい」 【冬人】「単刀直入に言う」 【冬人】「由紀お前は――」 【冬人】「俺の幼馴染、だな?」   【由紀】「……はぁ?」 【冬人】「ち、違ったか?」 【由紀】「違うに決まってるでしょ……」 【由紀】「なんで幼馴染がクリスマスに家に来るのよ」 【冬人】「そう、だよな……」  それなんて、エロゲ。  恋愛関係にない幼馴染が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるなど……所詮は夢物語。  どうして、こんな勘違いをしたのだろう? 【由紀】「冬人……本気で大丈夫なの? 今からでも病院行こうよ」 【冬人】「あ、ああ……」  俺は、そう答えるしかなかった。  BAD END 【冬人】「恋人、だな?」   【由紀】「……は、はぁ?」 【冬人】「ち、違ったか?」  クリスマスの夜に料理を作りに来てくれたり、打ち解けた態度。  そう、だと思ったのだが。 【由紀】「違うよ……そりゃ」 【由紀】「それに、傷心なのは分かるけど、そういうの冗談はやだな……」  目に見えて由紀が傷ついているのが分かる。  どうやら、言ってはいけないことを言ってしまったらしい。 【冬人】「ごめん……」 【由紀】「いいよ……」 【由紀】「でも、冬人……本気で大丈夫なの? 今からでも病院行こうよ」 【冬人】「あ、ああ……」  俺は、そう答えるしかなかった。  BAD END 【冬人】「ストーカー、だな?」   【由紀】「……」 【冬人】「俺を、襲ったのはお前なんだな?」 【由紀】「何を……」 【由紀】「何を、言ってるの……?」 【冬人】「……しらばっくれるな」  ――驚いた由紀の、顔。  間違いない、はずだ。  それに理由もある。 【冬人】「……だから」 【冬人】「だから暑いのに、部屋の中でもアウターが脱げなかったんだろ?」  由紀の着ている――アウター。  暑い、という自覚があったのに由紀はそれを脱ごうとしなかった。  そもそもの話、室内に入ってずっとそんな恰好をしているというのはあまりにも不自然だ。  にも関わらず、由紀はそれを脱がなかった。  それは……何故か?  考えられるのは一つ。  由紀は『俺を殴った』時に返り血がつかないようにアウターを着たままだったんだ。  『俺を記憶喪失へと至らせた』その一撃の際に。 【冬人】「最初に殴った時に俺を仕留め切れなかったから、恋人のフリをして……俺をもう一度殴る機会を窺っていたんだろう」 【由紀】「……」  由紀は無言のまま、こちらを見据える。 【由紀】「ねぇ」 【由紀】「……冬人」 【由紀】「私が冬人のストーカーなら……」 【由紀】「なんで冬人を殺そうとするの?」 【冬人】「それ、は……」  あれ……なんでだ?  そういえば、そうだ。  由紀がストーカーだとしても、俺を殺してしまう理由はどこにもないのだ。  俺の想像は、そんな程度の反論で崩れるほど矛盾に満ちたものだった。 【冬人】「そ、そうだ。あの写真の子が本当は俺の彼女なんだ!」 【冬人】「だから、だから……俺が由紀のことを裏切ったと思って、その……」  一人、支離滅裂な理論を喚き続ける。  自分で話の一部だけを勝手に推理して、勝手に納得していた気になっていた。  俺は、記憶喪失も相まって謎の少女である写真の子、そして由紀のことで混乱していた。   【由紀】「私が……」 【由紀】「私が、アウターを脱がなかったのは……冬人を驚かせようと思っただけなんだよ」 【冬人】「ど、どういうことなんだ」  さっぱり、分からない。 【由紀】「いいの、いいから」  そうか……。  俺は……自身の破綻した論理にも気付かず、由紀にわけのわからない濡れ衣を着せてしまった。  由紀はそんな俺にただ何も言わず憐憫の眼差しを向ける。 【由紀】「……ね、病院に行こう? 冬人」  BAD END 【冬人】「妹、だな?」   【由紀】「うん、そうだよ」  あ、あら? 【冬人】「か、軽いな随分」  思わず拍子抜けしてしまった。  ……しかし、そうなんだ。  兄妹だからこそ『昔からの付き合い』そして、ろくに『着替えもせず寝巻で普通に接していた』んだ。  もしも由紀が俺の彼女であるなら、前者はともかく後者はありえないことだろう。  これは肉親だからそういう風な格好でも気にしなかった――ただそれだけのことだった。  それに……由紀は俺が料理を誉めた時「私にそんなこと言っても意味ないでしょーに」と言った。  あれは、妹である自分にお世辞を言っても意味がないということだったのだろう。 【冬人】(そう考えると、『……と』と聞こえなかった言葉も『いもうと』という言葉だったんだな)  なんとなく兄に向けて自分で妹、と宣言するのが気恥ずかしかったのだろう。  年頃の女の子でかつ兄が俺みたいな物臭なやつならしょうがないことかもしれない。 【冬人】(思えば、推理するだけの材料はたくさんあったんだな) 【由紀】「で、冬人……それでおしまい?」 【冬人】「ああ、いやいや」 【冬人】「ん……で、だな」 【冬人】「あの、写真の子」 【冬人】「あれは――」 【冬人】「俺の、妹だ」 【由紀】「冬人の妹は……私でしょ?」 【冬人】「あ、うん……だよな」  年下とはいえ、あの写真の人と由紀、全然似てないしな。  そもそも、なんで妹と二人で撮った写真を部屋に飾らないといけないんだ。 【冬人】「……やっぱ病院いくか、やっぱ記憶喪失怖いわ」 【由紀】「なんかよくわかんないけど、本気ならそうしようよ」 【由紀】「私もついてくからさ」 【冬人】「……うん、ありがと」  HAPPY END   【冬人】「俺の、姉だ」 【由紀】「はぁ……うちに姉はいないよ……」 【冬人】「あ、うん……だよな」  あの写真の人と由紀、全然似てないしな。それに、どう見たって年下だし。  ……そもそも、なんで姉と二人で撮った写真を部屋に飾らないといけないんだ。 【冬人】「……やっぱ病院いくか、やっぱ記憶喪失怖いわ」 【由紀】「なんかよくわかんないけど、本気ならそうしようよ」 【由紀】「私もついてくからさ」 【冬人】「……うん、ありがと」  HAPPY END     【冬人】「俺の、恋人だ」 【由紀】「……」 【由紀】「そう……だね」 【由紀】「……正しくは――元がつくけど」  やっぱり……そうか。  あれだけ仲良さ気に手をつないでいたら、恋人以外の解答はないだろう。  それに、妹や姉とのツーショット写真を後生大事に部屋に置いておく人もそうはいない。  以上のことから写真の彼女が俺の『元』恋人だと想像することは容易なことだった。   【冬人】「失恋したわけだな、俺は」 【由紀】「うん、こっぴどくね」 【由紀】「それで、想い出の品とか全部捨てたんだけど……あの写真だけは置きっ放しだったの」 【由紀】「冬人は忘れる――なんて言って、いつもチラチラ見てるから。それで私さっきムキになっちゃった。ごめんね」 【冬人】「いや、いいっていいって」 【冬人】「……うんうん、そうか。優しい妹はクリスマス前に失恋した俺を慰めるために来てくれてたんだな……」  現に傷心とか言ってたしな。 【由紀】「ま、まぁね……私も、クリスマス暇だったし」 【由紀】「それに、滅茶苦茶落ち込んでたから放ってはおけなかったしねー」 【由紀】「ほら、うっかり自殺でもされたら困るじゃん」 【冬人】「……はは、由紀は優しいなぁ」 【由紀】「っ……私にそんなこと言っても意味ないっての、もう……!」  なんて言いつつも、満更でもなさそうだ。 【冬人】「あ、そうだ」  最後に一つだけ、分からないことがあった。 【冬人】「由紀は……なんで暑いのに、部屋の中でずっとアウターを着てるんだ?」  それだけが……分からなかった。  本人も暑いという自覚はあったようなのに、部屋の中でそれを脱ぐことはしなかった。  つまり、そこには何か意味が存在するということだ。 【由紀】「あ、そだね。忘れてた」 【由紀】「んとね、これは……冬人を驚かそうと思ってたんだ」 【冬人】「……ほぉ、そうか。んで、それはどういう意味でだ?」 【由紀】「えへへ……見ててよ」 【由紀】「じゃーん、私からのクリスマスプレゼントー」 【冬人】「……!」  ああ、なるほど。  少しばかり布地が少ない気がするが、クリスマスを意識したのであろうサンタ風の衣装。  これを見せるために、わざわざストーブのきいた暑い部屋でもアウターを着たままだったのか。  ――ようやく、すべての謎が解けた。 【由紀】「な、なんか反応してよ!」 【冬人】「あ、うん、すげー似合ってるよ」  というよりも、俺に見せようと暑いのを我慢してくれてた事実の方が嬉しい。  けれど、妹という事実が分かった今は恥ずかしくてそんなことは言えない。 【由紀】「え! え、ほんと!?」 【冬人】「あー……なんつーか馬鹿っぽい」 【由紀】「しね、ばか、冬人なんかしんじゃえ」 【冬人】「ごめん、嘘」  素直に平伏。 【由紀】「もーいいよっ、冬人にそういう気遣い期待した私が馬鹿だったし」 【由紀】「でさでさ……その、私にああいうこと確認したってことは、記憶喪失ってほんとなんだよね」 【冬人】「そうだよ、マジでな」 【由紀】「そう、なんだ……信じられない、なんか」 【冬人】「多分、転んで頭とか打ったんだと思う」 【由紀】「そんなんで記憶喪失になるものなの?」 【冬人】「ああ、多分……」  今なら分かる。別れた彼女のことを忘れたい――思い出すのはつらい。  きっとそう思ったからこそ、こんな健忘が起きたのだろう。  なんとなく、そう思うのだ。 【由紀】「病院とか行かなくて、平気?」 【冬人】「どうだろ、多分一時的なものだとは思うから大丈夫だろうけど」  瘤くらいで目立った外傷もないしな。  流石に内部で――ということもなさそうだし。 【由紀】「一応行っとこうよ。もしかしたら危ないかもしれないし」 【由紀】「ね、ね?」 【冬人】「やけに乗り気だな……」 【冬人】「なんて言いつつただ外歩きたいだけとかなんだろ?」  ちらりと窓の方を見ると、雪が降り始めていた。  なんとなく、こういう夜は外を歩きたくなる雰囲気がある。  きっと由紀もそれに当てられてしまったのだろう。 【由紀】「当たり、ついでに冬人に肉まんとか奢ってもらったり」 【冬人】「菓子をさっき買って来ただろうに、調子のいい奴め」  由紀はさっきと同じようにアウターを服の上から身にまとうと、「早く早く」と俺を急かす。 【冬人】「分かったよ。ちょっと待ってくれって」  記憶喪失なんて一大事に、由紀も……いや、俺の妹もお気楽なことだ。  正直自分ですら酷く楽天的だから、何も言えないのだが。  そこら辺はやっぱり兄妹……なんだろうな。 【由紀】「もう、早くしないとおいてっちゃうよ!」 【冬人】「出来た、出来たからそんなに急ぐなって」 【由紀】「よぉし、せっかくだしクリスマスを楽しもう」 【由紀】「その相手が冬人ってのはちょーっと不服な気がしないでもないけどさ」  くるりと一回転して、満面の笑顔を浮かべながら由紀は俺を見る。 【由紀】「ね――?」 【由紀】「――お兄ちゃん!」  スタッフロール  リンリン、とどこからか鈴の音が聞こえる。  夜遅いということもあってか、周囲を行き交う人はもうほとんどいない。  広場の中央辺りに立った大きなツリーに飾り付けられた電飾が夜の闇に僅かな輝きを与えている。 【由紀】「クリスマス、って感じだねぇほんとに」 【冬人】「だな、思ったより人は少ないけど」  人――というよりもカップル、か。 【冬人】「こういうとこ一緒に来てるとあれだな、やっぱ俺たち恋人に見えるのかな」 【由紀】「ななな――何言ってんのよ!」 【由紀】「みみ、み、見えるわけ……あ、でもでも!」 【由紀】「見えちゃう、の、かな……」  あたふた一人で慌てて、自己完結するとは……。  うちの妹、恐るべし。 【冬人】「ん、まぁ俺は由紀のこと好きだから別に気にしないしさ」 【由紀】「っ……もう、冬人さ。記憶喪失っての利用してなんか私のことイジッてない……?」 【冬人】「どうなんだろ」  こんな臭いセリフ、記憶が戻ったら赤っ恥、いや……黒歴史確定かもしれない。 【由紀】「まぁ、さ……」 【由紀】「私も、冬人のこと……嫌いじゃないけど」 【由紀】「も、もちろん兄としてだよ!?」 【冬人】「分かってるって」 【冬人】 【冬人】「あ、そうだ――ここで脱いでくれよ」 【由紀】「はぁっ……!? そ、そういのは家で……」 【冬人】「何勘違いしてるのか分からんが、サンタ服になってくれってことだぞ」  ちょうど人も少ないし、ツリーを背景に写真の一枚でも撮っておこう。  色々な意味で記念になるだろうしな。 【由紀】「ううー……冬人の、ばか!」  羽織っていたアウターを脱ぐと、俺にぶつかるようにして抱きついてくる。↓CG挿入 【由紀】「こんなところで、こんな格好にして……信じられないよっ」 【由紀】「……しかも、超寒いし」 【冬人】「おいおい、抱きついたら写真撮れないぞ」 【由紀】「別に写真いいもん、寒いからこうしてる」 【由紀】「案外、抱きついてると冬人暖かいし」 【由紀】「寒いから離れたくないよ」 【冬人】「それじゃ意味ないがな……」  全く、これじゃ写真も撮れない。 【由紀】「何年ぶりだろ、こんなに冬人とくっ付くの」 【冬人】「む、それは俺には分からんな……」 【由紀】「あ、そっか……」 【由紀】「でもね、ほんとに久しぶりだよ」  すりすりと胸板に頬ずりをしてくる。  その度、意外に大きな妹の膨らみが俺に押しあてられ、何故だか緊張してしまう。 【冬人】(妹、ってのは分かってるけどな……)  困ったものだ。ともすれば、あれが元気になりそうだった。 【由紀】「冬人」 【冬人】「ん? なんだ?」 【由紀】「ら、来年もまた……ね」 【由紀】「一緒に、クリスマス……いても、いいかな」 【冬人】「……」 【冬人】「……俺は、構わないぞ」  どうせ、失恋から当分立ち直ることなんて出来ないだろう。  妹に恋人でも出来ない限りは――どうせ暇なのは確定してる。 【由紀】「……やた!」 【冬人】「はは、そんなことで喜ぶなよ」 【由紀】「んん……そうなんだけど、んー……」 【由紀】「素直に嬉しい、からさ」 【冬人】「そっか……」 【冬人】「じゃあ来年はなんか良いプレゼントでも買ってやらんとかな」 【由紀】「は!」 【由紀】「そうだよ、私今日冬人からプレゼント貰ってない!」 【冬人】「悪かったな、記憶ないからあれだけど傷心だったせいだろきっと」  多分そのせいで気にもしてなかったと思う。 【由紀】「わ、私はそれなりに考えたのに」 【冬人】「その結果がサンタ服というのもどうなんだろうな……」  即物的と言われるかもしれんが、もうちょっと何かあったろうに。 【由紀】「なんか納得いかないなぁ……!」 【冬人】「まぁ、いいじゃないか。物より気持ちだって」 【由紀】「数秒前に言ってたことと矛盾してる!」  ははは、と二人で抱き合ったまま笑う。  人が少ないからいいけれど、傍目に見たらなかなかにシュールな姿だろうな。 【冬人】「ありがとな、由紀」 【由紀】「え、いきなり何?」 【冬人】「いやさ、傷心の俺にわざわざついててくれてさ」 【冬人】「なんつーか普通にありがとう」 【由紀】「そう真正面から言われると、なんか恥ずかしいかも……」 【由紀】「うーっ……もう! とにかくっ!」 【由紀】「来年は……ちゃんとしたプレゼント、ちょうだいよね」 【冬人】「分かったよ、絶対忘れない」 【由紀】「ん、それならよし」  そう言うと、ぎゅうっと俺を抱きしめる由紀。  温もりが服越しに体へと伝わってくる。 【冬人】(クリスマス、か)  失恋を経験して、記憶喪失になって、優しい妹が慰めてくれて。  きっと数カ月前は予想していなかった今がここにある。 【冬人】(良かった、とは言えないけど)  今年の、クリスマス。  多分一生涯、記憶には残るであろう。  少しだけ、特別な体験をすることが出来たみたいだ。    おわり。